夢へのキャリア

どん底すぎるだろ!ケンタッキーのカーネルおじさん

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おっす!村上です!

私が最初にバイトを始めたのは高校2年くらいだったかな?

ケンタッキー・フライド・チキンことKFCってところで働いてた時のお話です。

 

鶏肉を調理場でベキっつって骨をボキ折って、

白い液体にブチ込んで、

小麦粉とスパイスが混じった粉ににドゥーンと投入!

まぜまぜしてから油にボーン!

鳥の骨だけにボーン!つって。

 

そして揚げたての鶏肉をどんくさい私は何個か落としちゃうので、影でそいつを拾って食べてたことは内緒にしておきましょうか。

幸い誰にもバレていないなかったし。。。

 

いや。。。

一人だけその秘密を知ってる奴が。。。

 

そう。

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この人はしっかり見ていたのです。

 

ということで今回はこの人のお話ですよ。

KFC創業者ハーランド・デーヴィッド・サンダース

 

ケンタッキーフライドチキン(KFC)といえば日本ではクリスマスになると行列ができ、3日だけで60億円近くを売り上げるとても知名度の高いお店です。

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中でもKFCといえばこのカーネルサンダースの顔を思い浮かべて、熱々の柔らかチキンが食べたくなる人も多いかと思います。

今回はそんな誰もが一度は食べたことがあるフライドチキンの生みの親であるカーネルサンダースことハーランド・デーヴィッド・サンダースのサクセスストーリーについて見ていきましょう。

KFC創業者カーネルおじさんのサクセスストーリー

1890年9月9日ケンタッキー州。

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右上の少年がカーネル

ここに後にカーネルおじさんとして知られるサンダースが誕生しました。彼は6歳の時に父を亡くして工場で働く母親を助けるために10歳で農場に働きに出ていました。

14歳で学校をやめたサンダースは農場の手伝いや車掌、そして年齢を詐称して軍隊に入ったりとその数40種以上もの仕事を転々としていました。

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しかし、最初に就いた仕事はクビになったり、軍隊も一兵卒の経歴までしかなかったりとどれも才能がない人間として見られていたのです。

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気づけば年を取り30代も終わりになっていました。

そんな彼は意を決して車の通りが多い高速道路の入り口付近にサービステーション、つまりガソリンスタンドを始めることにします。

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やがてそのガソリンスタンドの一角を改装して、たった6席しかない小じんまりしたカフェも一緒に開きます。

名前は『サンダース・カフェ』です。

サンダースはこれまで転職を繰り返したり、母に代わって料理をしてきたりしてきた経験から2つの揺るぎない信念が身についていました。

それが『できることはやれ』『やるなら最善を尽くせ』というものでした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9#/media/File:Sanders_cafe_2.png

右がサンダース

 

サンダースはガソリンスタンド支配人、調理係、レジ係、など全てを担当して、まさにできることはなんでもやりました。

そんな矢先、サンダースの20歳を迎える一人息子が病気のため亡くなるのです。サンダースは悲しみの中、また鬱状態の中なんとか経営をしていきます。despair-513529_1920

 

サンダースのレストランはそのサービスと味の良さ、そして高速道路に面していることから店は繁盛します。

そして1935年、45歳のサンダースはケンタッキー州の知事から『ケンタッキー・カーネル』の称号を授かるのでした。

この時からカーネル・サンダースと親しまれるようになります。

店も140に席数を増やしてこのまま成功の道を歩むかに思えました。しかしそんな中、サンダースが経営していた店は火災で全て燃えて無くなってしまうのです。

諦めないサンダースは再びお店を立ち上げますが、その後、高速道路が工事されて入り口が変更して車の通りが一気に少なくなり、せっかく復帰したお店も借金を返すために手放すことになったのです。

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65歳のサンダースには貯金もなく残ったのは車と毎月105ドルの年金だけです。

普通ならここまで挫折をすればこの105ドルにすがりつき残りの人生をホームレスのように車の中で生活する人生かと思えますが、サンダースはここで諦めませんでした。

サンダースは、資金が必要ないビジネスを考えたのです。

それはチキンのレシピを教えてチキンが一個売れれば5セントをもらうという、世界で初めてのフランチャイズビジネスでした。

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このアイデアを実行に移して70歳手前のサンダースは105ドルの年金をガソリン代に使いアメリカ各地を車で移動して、レシピを売るために営業をして回ります。

しかし、70歳の老人の話をまともに聞いてくれる店はなく3年近くもの間、サンダースは車で寝泊まりをして1000件以上もの『NO!』という拒否を受け続けました。

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しかし、それでも諦めないサンダースはようやく1010件目でレシピを受け入れてくれる店が現れたのです。

その後も営業を進めていき、1960年には400店舗、1964年までに600店舗を超えるフランチャイズ契約店を築き上げることに成功しました。

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↑最初にYESを出したピート・ハーマン氏

瞬く間にサンダースのチキンは全米に知れ渡り、最初に『YES』を言ってくれたピート・ハーマン氏によって提案された『ケンタッキー・フライド・チキン』という今では私たちが知るブランドにまでなったのでした。

父を亡くしたサンダース少年が料理を始めたきっかけは、7歳の時に勇気を出してイースト菌から作ったパンをいつも工場で働く大好きなお母さんにとても喜んでもらったことだったそうです。

自分は特別な才能なんてないんだと思って、転職を繰り返していた青年は70歳を過ぎてから大統領よりも有名なアメリカ人になることができました。

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彼は私たちに夢を追いかけるのに、遅すぎるなんてことはないと教えてくれたのかもしれません。

「もしもあなたが今更遅すぎると思い込んで何かを諦めかけているのであれば、白い格好をした笑顔のおじいさんを思い出してみてください。」

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いくつになったって、

自分の人生をより価値あるものにするための努力をするべきだ。

何の問題も起こらない人生が素晴らしい人生なわけがないのだから。

 -Colonel Sanders

 

それでは最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!

 

【参考記事】

http://www.venture-support.biz/media/establishment/starting/business/3721.html

https://kigyotv.jp/news/kfc/

 

【写真引用元】

サンダース人形
http://matome.naver.jp/odai/2143006086990904101

チキン
https://kigyotv.jp/news/kfc/

サンダース幼少
https://kigyotv.jp/news/kfc/

カーネルサンダース
https://en.wikipedia.org/wiki/Colonel_Sanders

サンダースカフェ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9#/media/File:Sanders_cafe_2.png

ピート・ハーマン
http://www.mormonwiki.com/Pete_Harman:_Mormon_Businessman

 

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