夢へのキャリア

ワッフルからアイデア!NIKE創業者 フィル・ナイト

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おっす!村上です。

 

アシックスって日本の企業だってことに最近気づきました。

福岡の駅のキオスクって言うんですかね?

あそこにアシックスに関する本が置いていて、難しそうな本は苦手ですが、幸いマンガだったので立ち読みをしましたよ。

鬼塚さんは苦労されたのでしょう。

しかし今回は彼のことはまだ書きません。

今回ご紹介するのはこの鬼塚さんの靴に魅了されて、起業したとある青年のお話です。

ナイキ創業者フィル・ナイト

 

スポーツ選手が靴を選ぶ際に絶大な人気を誇る会社、ナイキ。

その売り上げは年間3兆円をも超え、スポーツ用品に関しては世界シェアNo.1を誇ると言います。

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そんな化け物じみた企業を作り出したフィル・ナイトという人物とその恩師の物語について今回は見ていきましょう。

 

フィリップ・ハンプソン・ナイトのサクセスストーリー

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1938年2月24日、オレゴン州で弁護士の父の元に生まれたナイトは、幼い頃からスポーツが大好きな少年でした。

やがてすくすくと成長したナイトはオレゴン大学へと向かうとずっと続けてた陸上競技で優れた成績を出していました。

しかし、そこで出会った陸上コーチがナイトの人生を大きく変えることになる人物だったのです。それがビル・バウワーマンと出会いでした。

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↑靴の開発も手がけるバウワーマン氏

バウワーマンは優れた指導者だけではなく、自分で靴を開発しては企業に売り込んだり、教え子に履かせたりするちょっと変わり者の先生だったのです。

そんな師をもったナイトはバウワーマンから靴の開発についても学んだのです。

スポーツの他にも勉学に励んでいたナイトに、再び出会いが訪れます。それがスタンフォード大学でMBAを学んでいる時でした。

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『自分の得意な分野での企業について書く』という課題が出た時、ナイトはそれまで続けていたランニングについて考えて、日本の安い労働力を使って高品質のランニングシューズを取り扱うという事業計画書を提出します。

当時、業界を占めていたアディダスやプーマの品質の靴を安く売れば渡り合えると考えました。

1962年、24歳でビジネススクールを卒業したナイトは、このワクワクするような事業計画を実現させようと思い切った行動に出ます。

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まずナイトは日本に飛んで、アシックスの前身、オニツカ株式会社を訪れて幹部にこう言ったのです。

『私はアメリカのブルーリボン社の社長をしており、御社と取引をしたいのですが、まずはアメリカにいる私のパートナーが製品を確かめてから、大量に発注をすると約束しましょう。』

なんとかオニツカ社の幹部と交渉をしますが、もちろんこの時まだブルーリボン社は存在してませんし、ナイトは発注するお金もパートナーもいませんでした。

つまり全てハッタリだったのです。

しかしナイトのすごいところはこのハッタリを現実のものにしていくということです。

アメリカに戻ったナイトは、父親に借金をして靴のサンプルを送ってもらうと、その靴をオレゴン州大学で世話になったかつての恩師、バウワーマンに見せて起業を持ちかけたのです。

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靴の開発をしていたバウワーマンはかつての教え子が持ってきたこの話にとても興味を持ちました。

そして2人は500ドルずつ出し合ってブルーリボンスポーツ社を立ち上げると、早速オニツカタイガーの靴を200足発注してそれを競技会場で売りさばくことから始めました。

しかし、創業当初はほとんど儲けがなく、ナイト自身はアルバイトをしながら会社を続けていたと言います。

ところがあきらめない精神が実を結んで、ナイトが30歳を過ぎ1970年代に入ると売り上げはどんどん上がっていったのです。その売上金額は300万ドルを超えました。やがてオニツカタイガーブランドはランナーたちの間で爆発的な人気を誇ったのです。

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一方のバウワーマンも独自の靴の開発に夢中でした。

ある朝、ワッフル焼き機を見たバウワーマンは、滑りにくい突起物を備えクッション性に優れたワッフルソールという靴を思いついたのです。

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これを機にオニヅカタイガーとの契約を打ち切って、ついにナイトとバウワーマンは独自ブランドの立ち上げに踏み切ったのです。

勝利の女神NIKEから名付けられたNIKEブランド伝説はここから始まります。

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まずナイトは創業当初のアシックスと同様、トップアスリートから靴を浸透させようと考え、多くのアスリート達に靴を配って回りました。その中でも無名の新人バスケットボール選手に靴を託し、彼をバックアップしたのです。

その選手自体は高校時代はチームにすら入ることができませんでしたが、後に彼の履く『エア・ジョーダン』は世界中に熱狂的なファンを生み出し、その靴だけで100億円近い売り上げを叩き出したのです。その人物こそマイケル・ジョーダンだったのです。

 

JORDAN-LOGO-Black-White-Backgroundその後も数々のトップアスリートが愛用するNIKEの靴がテレビで放送されるたびに、売り上げは1000億円までに伸びて、ついにアディダスを抜いてNIKEは世界第一位のシューズメーカーとなったのでした。

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しかし、1986年、突然NIKEの売り上げが18%も下がってしまったのです。

プロアスリートから支持される一方で、消費者からは機能性よりもデザイン性を求められたのです。

そしてこの消費者の要求にナイトは答えようと変革を決心します。

ソールにエアクッションを入れ、デザイン性に優れた靴をビートルズの「レボリューション」を使ったCMで大々的に打ち出します。

結果は見事に大ヒットして、瞬く間に売り上げは上昇していきました。

以降、業界1位の存在になったNIKEはナイトの指導のもと、業界トップの座に君臨するのでした。

 

かつては大学で一生懸命勉強していたちょっと頭のいい学生でしたが、ほかの学生と違い彼は夢を描きそれを行動に移すことで夢を実現しました。

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かつて競技場で日本のシューズを7ドルで売り歩いていたあの日から22年。

ナイトの手がけるシューズは200ドルの伝説のシューズと呼ばれるようになりました。

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彼はたとえ何かの分野で長けていたとしても、勇気を出して行動をしなければ夢を勝ち取ることはできないと教えてくれたのかもしれません。

 

「もしあなたが失敗を恐れて何かにためらっているのであれば、チャレンジをしなければ成功もないということに気づくときなのかもしれません。」

 

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人生で最後の一回だけ成功すればいい。

それまでトライし続けることが重要だ。

チャレンジしなかったら、成功するかどうかさえ分からない。

ラストチャンスだけは失敗しないようにすればいい。

-Phil Knight

 

それでは最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!

 

参考記事

https://en.wikipedia.org/wiki/Phil_Knight

https://www.entrepreneur.com/article/197534

http://money-academy.jp/nike/

 

【写真引用元】

http://news.nike.com/jordan-brand/news/phil-knight-inducted-to-naismith-memorial-basketball-hall-of-fame

http://www.forbes.com/forbes/welcome/

http://news.nike.com/news/bill-bowerman-nike-s-original-innovator

 

http://www.freeinfosociety.com/article.php?id=370

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