夢へのキャリア

イタズラ好きなシャイ!Apple創業者スティーブ・ウォズニアック

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普段使っているMac Book Proのコンピュータ。

言わずと知れたアップル社の製品ですね。

で、今日はアップルの創業者のスティーブ・ジョブズを書こうかと思ったのですが、これだとあまりにも普通ですね。

でも、じつはアップルを創業した時には3人の共同創業者がいたことは意外に知られていません。

今日はアップルをジョブズと共に創業したスティーブ・ウォズニアックについてみていきたいと思います。

アップルを創業した怪物スティーブ・ウォズニアック

世界中にコンピュータを普及させるきっかけとなり、その売上は毎年20兆円を超えるほどの超巨大テクノロジー企業です。

そんな企業を作り上げたのはかつて20代が始まったばかりの青年ジョブズとウォズニアックでした。

今回は、目立つジョブズのとなりでテクノロジーを完成させていった天才スティーブ・ウォズニアックについてお話ししていきます。

 

1950年8月11日、カリフォルニアのサンノゼにてロッキード社のエンジニアの父の元にスティーブ・ウォズニアックは生まれました。

その天才ぶりは幼少の頃から発揮されており、6歳になる頃にはアマチュア無線の免許を取得して自作キットのアマチュア無線を組み上げるほどでした。

そして13歳の時にはトランジスタの組み合わせによって原始的なコンピュータを作り化学コンクールで優勝をしたりするのです。

 

少年時代からオタクっぽくて内向的だったウォズでしたが、いたずらがとても大好きでもありました。

17歳の時、電子メトロノームとアルミ箔でカチカチと時計音が鳴る装置を作って高校の友達のロッカーの中に仕込みました。

すると、先生がそのロッカーを抱えて校庭にダッシュして生徒を守ろうとしたのでウォズは必死に笑いをこらえていました。

ウォズはこの事件により数日間、少年院に送られてしまいます。

 

そんなウォズは大学に進学して、1971年にヒューレッドパッカード社のインターンシップで働くことにしたのです。

そしてそこでウォズは5歳年下のスティーブ・ジョブズとで出会ったのです。

性格は正反対だったにもかかわらず二人はいたずらなど、意気投合をして一緒に行動するようになりました。

そんなある時、ウォズの母親がくれた雑誌『エスクァイア』の1971年10月号にブルーボックスという不正に電話をかける装置が載っていました。

そこでウォズとジョブズはスタンフォードの図書館に潜り込んで、技術資料を調べながら自分たちのオリジナルのブルーボックスを完成させたのです。

これで二人は長距離電話をかけまくったり、ジョブズはウォズの大学でこの機械を売りさばいて儲けたと言います。しかしこれも銃を突きつけられる危ない目にあってからやめることになります。

 

そんな中、自動車事故を起こしたウォズは自動車代や大学費を稼ぐためにも大学を休学してヒューレッド・パッカード社で電卓設計として働くことにしました。

そんな中、ジョブズが1974年にカリフォルニアに戻ってきて二人で地元のコンピュータマニアの集まるコンピュータクラブに参加し始めます。

それと同時にウォズは半年ほどかけて自作のコンピュータを作り上げてそれをジョブズに見せたところ、これをコンピュータクラブで発表をすることにしたのです。

いい評価がもらえて自信をつけた二人はその後、それぞれの会社の上司に商品化するように言いますが、結局断られたので自分たちで売り出すことに決めたのです。

ジョブズはバイトショップのオーナーなどに基盤を見せて売り込むと、30日以内に50台を納品するという提案を受けたのです。

そこでジョブズは車を売って、ウォズも電卓を売り払い、アタリで営業をしていたロン・ウェインも株式の10%との交換という約束で昼夜を問わずに製作に取り掛かります。

そして1976年6月、約束通りにApple 1を作り上げ50台を納品し、それはゾロ目が好きなウォズにより666.66ドルで販売されました。

ところが売れ行きは良くなく、結果、ロン・ウェインは権利を放棄して会社を去ってしまったのです。

しかし8月を過ぎて売り上げが好転すると、ジョブズとウォズは互いにApple 1を作り続けていったのです。

この取引で二人は8000ドルほどの利益を得て、ジョブズはApple 1を大量に売ろうと考え始めました。

そして前に働いていたアタリ社の上司から投資家を紹介してもらい、92000ドルもの投資をしてもらうことに成功したのです。

これを機に、ウォズはアップルに注力するためにもヒューレッド・パッカード社を辞めてApple 1の再設計をすることにしました。

 

処理能力を向上させた新たなコンピュータはApple Ⅱとして世に出されて、ジョブズのセールスのおかげもあって数年で200万台も設置される大ヒットを記録したのです。

こうして二人はいよいよ株式公開をすることになるまでに会社を大きくしますが、ここでウォズはなんと株式公開前に自分の株を社員に売って分けたのです。

確実に値上がりする株を分け与えるウォズにジョブズは反対しましたが、その結果、社員は子供を大学に通わせたり家を建てたりすることができるようになったと言います。

それに喜んだウォズもまた、創業者利益として1億ドルほどの資産を持つことになります。

そんな優しい人柄のウォズニアックも、次第に企業として大きくなってくるAppleがApple Ⅱを正しく扱ってくれないことに不満を持ち、やがて退社をすることにします。

エンジニアで自分の作品を作りたいと思うウォズは新たに万能リモコンの開発に力を入れますが、デザイン業社をAppleと同じ会社を使おうとしてジョブズから妨害を受けます。

やはり、ビジネス面ではジョブズが必要だったのでしょう。

その後、ウォズはその優しい人柄が多くの人に愛されて資産とともに人にも囲まれる生活を送るようにもなったのです。

そして今でもなお、地元の子供や若者を対象として情報教育などの活動に力を注いでいるといいます。

 

はじめはただのオタクで、自分が好きなマシーンを作っている陰気な少年でした。

しかし、ジョブズや人との出会いをとおして成長し、そして人に対する愛情を表現することでいつしかお金も人も集まる人物として認められていきました。

友を愛し、人を愛する心が彼を伝説の技術者にまでで移調させていったのかもしれません。

 

世界を急に変えることはできなくても、

少しずつ良くしていくことはできる。

-Stephen Gary Wozniak

 

 

参考記事

https://en.wikipedia.org/wiki/Steve_Wozniak

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