夢へのキャリア

ユニバに勝手に居候!監督スティーブン・スピルバーグ

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個人で映像製作をしていても、やっぱりプロの映像にはかないません。

事実、しょーもないなんちゃってYouTuberになって金をちょこちょこと稼ぐくらいなら数か月勉強すれば大丈夫でしょうが、きちっと受注してやるとなればそれこそ何年もかかります。

たとえば、アメリカではプロが製作したテンプレートが数千円で売られていて、自分の家のペンキも自分で塗り替える人が多い国なので、映像だって素人が日本のプロレベルの物を作れたりします。

そしてその典型が、少年のころから8ミリカメラを持って撮影をしまくってといわれている、スティーブン・スピルバーグ監督です。

彼の映画に対する思いからとった行動は私たちも見習う物があるかもしれません。

ハリウッド映画の巨匠スティーブン・スピルバーグ

ハリウッド映画の中でも歴代興行収入を一人で何度も塗り替えている化け物みたいな映画監督スティーブン・スピルバーグ。

その代表作は『E.T』や『インディー・ジョーンズ』、『ジュラシックパーク』に『ジョーズ』など、誰もが一度は聞いたことがあるものでしょう。

今回はそんな数々の名作を残した監督、スティーブンスピルバーグの映画への情熱とサクセスストーリーについて見ていきたいと思います。

もぐりからの監督スティーブン・スピルバーグ

 

1946年、アメリカオハイオ州にて電気技師の父とコンサートピアニストの母との間にスティーブン・スピルバーグは生を受けました。

スピルバーグは幼いころからディズニーが大好きで、テレビや絵本を読んで過ごしていました。父親の仕事の影響で引っ越しが多かったスピルバーグは、いつも新しい学校では馴染めずにしかもユダヤ人で学習障害があったので同級生からはいじめを受けることも多々ありました。

さらに両親は離婚をしてしまったのです。

そんな中、スピルバーグが6歳くらいのころ、父親から『お前を地上最高のショーに連れて行こう!』と言われて、それまでにないくらいまで興奮しました。

心待ちにして父親が車を運転して、真っ暗な空間に入ると座席に座りました。スピルバーグは最高のショーということで期待してたのに、嘘をつかれたと悲しみます。

しかし、その悲しみも10分もしないうちに消え、やがてスピルバーグは映画の虜になったのです。その映画では列車の衝突事故が描かれていて、スピルバーグは12歳になるまで父親におもちゃの列車を買ってとねだって、列車を集めるオタクになってました。

12歳になったスピルバーグは6年前に見た映画を再現したくて、列車をぶつけてそれを父親の8ミリカメラで撮影します。これがスピルバーグ最初の映画だったのです。

その後、友達と集まって数々の映画を作ってはそれを見て楽しんでいました。

17歳になると、スピルバーグはカリフォルニアのユニバーサル・スタジオのバスツアーに参加することにしました。

しかし、スピルバーグはツアーの途中でトイレに隠れるとバスが去るのを待ってスタジオ内をうろちょろしました。

そしてそこの映像保管係のスタッフと知り合うと、3日間の通行許可証を作ってもらうことに成功します。そしてその3日間で人脈を作っていき、やがて顔パスでスタジオ内を歩けるようになったのです。この時、映画監督のジョン・フォードと出会います。

そして高校を卒業することになると、スピルバーグは南カリフォルニア大学で映画を学ぼうと入学試験を受けました。

しかし、かれは学習障害があったため1度目はC判定で不合格。2度目も受けますがまた不合格。最後の挑戦で3度目を受けるもまた不合格でした。

どうにか1965年にはカリフォルニア州立大学にて映画を専攻して学ぶようになります。しかし、同時に休みの日にはユニバーサルスタジオに行って、ついにはその中の空き部屋を自分のオフィスとして使うと映画監督になりきってスタジオに居候を始めました。

そうしてハリウッドを出入りしながら21歳になったスピルバーグは、映画監督のデニス・ホフマンと出会います。ホフマンに気に入られたスピルバーグは映画製作資金を提供してもらい、「アンブリン」という初の作品を完成させました。

すると、この作品がユニバーサルテレビ部門の責任者の目に止まり、ユニバーサルと7年の契約をすることになります。この契約によって、スピルバーグは大学の卒業は難しくなり1969年に大学を中退します。

そしてその3年後、テレビ映画として『激突!』を撮影するとかなりの評判で、海外では劇場公開もされたのでスピルバーグの知名度は一気に上がったのです。

その2年後には『続・激突!カージャック』で劇場用映画監督に進出します。

さらに3年後、ついにスピルバーグの名前を世界に轟かせる作品、サメに襲われる恐怖をかきたてた『ジョーズ』が公開されると世界歴代興行収入1位を記録し大ヒット監督となったのです。

その後も『未知との遭遇』、『E.T』、『インディ・ジョーンズ』、『ジュラシック・パーク』、『A.I.』など未来科学的な作品を世に公開していき興行収入も計約7000億円にも上りました。

かつては「私はアカデミー賞を取れないだろう」と発言していましたが、1998年には見事2度目のアカデミー監督賞を受けています。

しかし、そんな彼の近未来的な作品は都市伝説や陰謀論的なウワサが多くあります。

スピルバーグ自身、陰謀論者の女性から『洗脳している』と主張され、ストーカー被害を受けたりしています。

しかし、実際は彼の残した多くの作品や、創業したドリームワークスという映画制作会社を通して今でも世界中で多くの子供や大人は未来について考えさせられ明日を生きる夢を描いています。

 

そんなスピルバーグも初めは映画監督を夢見て、家庭用カメラで試行錯誤をしていたただの少年でした。

しかし、勇気を出してユニバーサル・スタジオに潜り込んで、多くの人から意欲的に学ぶことで世界一の映画監督になることができたのです。

夢を叶えるためには少しの勇気と、好きなことを続ける情熱が必要なんだと彼から教わりました。

「あなたが今やっていることは本当に好きなことですか?

夢を叶えるには勇気を出して好きなことを続けてみてください。」

 

大きなことを夢見よう!
決して途中であきらめてはいけない。
否定的な考えで自分をダメにしてはならない。
今日だけを生きるのではなく、明日に期待しよう。
あなたを成功へと駆り立てるような習慣を育てるのだ。

-Steven Allan Spielberg

 

【参考記事】

http://logmi.jp/72992

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9

http://matome.naver.jp/odai/2138484259870621701

【写真引用元】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0

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