夢へのキャリア

52億本で翼を授ける男!レッドブルのディトリヒ・マテシッツ

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タイのカオサンロードという観光客に人気の繁華街があります。夜になると、光り輝く店の間を多くの人が流れていき、タイの絶品料理を頬張っては旅の疲れを癒しています。

そんな中、私が気になったのが缶ジュースの数々でした。

どれも栄養ドリンクらしくて、ココナッツ味とか色々とあったのですが、甘すぎたり薬の味が強くて飲めないものも多々ありました。

しかし、そんなタイの栄養ドリンクをきっかけに世界中で最も愛されるエナジードリンクを作り出した男がいました。

今回は、エナジードリンクの王、レッドブルの創業者ディトリヒ・マテシッツについてお話ししていきましょう。

 

新たな市場を作ったレッドブル創業者

世界中の前へと突き進もうとする人々に翼を授けるエナジードリンク、レッドブル。

ドリンクを喉に流し込めば、大きな壁に立ち向かう力を与えてくれるとして、世界中で年間52億本もの缶が炭酸の吹き出す音とともに栓を開けられています。

そんな人々に活力を与えた巨大なブランドをわずか数年で構築した人物ディトリヒ・マテシッツについて見ていきましょう。

レッドブル創業者ディトリヒ・マテシッツ

モーツァルトが生まれた地オーストリア・ザルツブルクに世界を驚かせたレッドブルが誕生するよりも半世紀ほど前。

1944年5月20日にディトリヒ・マテシッツは誕生しました。

マテシッツはウィーンの国際貿易大学で10年もかけてマーケティングを学び卒業した後に、ユニリーバ、そして世界最大の消費財メーカーでもあるP&G(プロクター&ギャンブル)社の歯磨き粉のマーケティングに携わっていました。

普段からマーケティングマネージャーとして世界中を飛び回っていたマテシッツでしたが、1982年に香港のマンダリンオリエンタルのバーで雑誌『ニューズウィーク』で日本の高額納税者リストを目にしました。

そのリストには上位にはソニーやトヨタといったグローバル企業ではなくて、大正製薬の経営者の名前が載っていたのです。

当時世界第2位の経済大国日本で、グローバル企業を抑えて1位になった大正製薬のリポビタンDに非常に興味を持ったのです。

ここに巨大な金儲けのチャンスが眠っていると確信したマテシッツは、このときから市場を観察しては様々なドリンクを試すようにしました。

そンなある時、タイの製薬会社に出張した時にマテシッツはそこの会社の製造しているドリンクに着目しました。

その飲み物はリポビタンDと似た成分を含んでおり、タイでも運転手や農家の人たちの間で人気があったのです。クラティンデーンと言う名前のそのドリンクはタイ語で『赤い雄牛』と言う意味でした。

そしてマテシッツは1984年にはアジア以外でクラティンデーンを販売するためのライセンスを取得して、中国系タイ人チャリアオ・ユーウィッタヤー氏と50万ドルずつ出資して商品の名前をレッドブルとして会社を設立したのです。

オーストリアに戻ったマテシッツはヨーロッパ人好みの味に変えるために炭酸を追加したり、何度も実験を重ねてレッドブルを調整します。

以前は誰もが羨む大企業で高額な給料で優秀な社員として働いていましたが、オーストリアでの健康飲料としての販売許可を取るために奔走し、ついに約5000万円もあった個人の貯金は数年で底をつききかけていたのです。

 

マーケティングを長年やってきたマテシッツは広告が重要と考えて、広告代理店を経営していた同級生を起用して、様々な試練を乗り越えながら『レッドブル、翼を授ける』というキャッチコピーを生み出したのです。

さらに表面的なブランドにこだわらず、裏でもアメリカビジネスのやり方とは反して契約書を使用せずに握手で取引を決めたり、砂糖も製造費が高いヨーロッパの農家から仕入れたりしていたのです。

そんなレッドブルも初めて80万ユーロ(9400万円)もの売り上げを上げますが、マテシッツは100万ユーロを広告費にブチ込んだために3年間は赤字続きでした。

しかしその広告手法は見事にヒットして、ドイツでは生産が追いつかなくなるほどの大ヒットを重ねたのです。

他の企業がただ単に俳優たちに商品をプロモーションしてもらうのに対して、レッドブルの広告手法はそのブランドを神秘的に見せることにありました。

つまり、仕事を始める前にシャキッと気持ちを前向きにしたい人たちを狙うのではなく、目ぼしいパーティや、セレブの日常、さらには鳥人コンテストやXスポーツといった非日常にレッドブルカーを走らせ、そこで大きくPRしたのです。

その結果、非日常で特別なレッドブルブランドが誕生し、マテシッツ自身もオーストリア随一の大富豪へとなり世界のエナジードリンク市場の70%を占めるまでになったのでした。

 

マーケティングを10年もかけて極めたマテシッツは、やがてタイで出会ったドリンクを通して世界にそのブランドを轟かせました。

今までのアメリカンビジネスの常識を破って成功をたたき出したマテシッツは創業当初こう述べています。

レッドブルのための市場は存在しない。我々がこれから創造するのだ。

-Dietrich Mateschitz

 

レッドブルに翼を授けてもらった張本人は待てしっつ自身だったのかもしれませんね。

 

 

 

 

【参考記事】

https://en.wikipedia.org/wiki/Dietrich_Mateschitz

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%84

 

【参考書籍】

レッドブルはなぜ世界で52億本も売れるのか

 

【写真引用元】

 

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