夢へのキャリア

一度は夢を諦めた!PIXAR社長エド・キャットムル

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類は友を呼ぶではありませんが、私が起業をしようと決めてから多くの起業家さんとお話しする機会ができました。

そんな中で一番初めに出会った起業家の方に『やりたいことがわからない』みたいなことを相談したところ『じゃぁ、どんな会社が好きなのか考えてごらん?』と言われました。

そこで出てきたものには今もお世話になってるスターバックスさんや、キッザニアっていう子供の職業体験テーマパークとかでした。

で、中でもここで働いてみたいな〜と思ったのが、『トイ・ストーリー』とか『ファインディング・ニモ』を生み出したディズニー、そしてピクサーです。

そこで今回は世界中の子供から大人までに愛される映像制作会社、ピクサー社長のエドウィン・キャットムルのストーリーを見ていきましょう!

 

ピクサーのトップ!エドウィン・キャットムル

『トイ・ストーリー』、『ファインディング・ニモ』に始まり大人から子供にまで大人気のアニメーション映画をディズニーと共に作り続けてきたピクサー・アニメーション・スタジオ。

ピクサーから生み出される作品はどれもが数百億円以上もの興行収入を叩き出し、今でもなお世界のアニメーション映像業界のリーダー的存在でもあります。

今回はそんなピクサーの立ち上げにも関わり、ディズニーとピクサーのアニメーションスタジオ両方の社長を務めるエドウィン・キャットムルのストーリーを見ていきたいと思います。

アニメーションの魔術師エド・キャットムル

1945年3月31日、アメリカのウェストヴァージニア州でエドウィン・キャットムルは生を受けました。父親は高校の校長先生で、家族はモルモン教の信者だったのでキャットムル自身もモルモン宣教師として10代を過ごすことになります。

そんなキャットムルは幼い頃からディズニーのアニメが大好きで、特に『ピーターパン』や『ピノキオ』を見て将来はアニメーターになりたいと夢見ていました。

実際に簡単なパラパラ漫画を作ってみては、手のひらに簡単なアニメーションの世界を作り出していたのです。

しかし、大学に行くに際してキャットムルは現実的に見て、自分はアニメーターとしては絵がそこまで上手ではないと気づきます。そしてユタ大学に進んだキャットムルはアニメーターとしての道を諦めて、そこで数学と物理、そしてコンピュータサイエンスを学んでいきました。

そんなキャットムルは卒業後、ニューヨーク工科大学や航空会社のボーイングで短期間プログラマーとして働いたりした後、1970年秋に再びユタ大学院にもどります。

そこでキャットムルはCGの開祖でもある、アイヴァン・サザランドと出会い、スケッチパッドというコンピュータで絵を描くものや未来のアニメーションの基礎を目の当たりにしたのです。

キャットムルの心の奥底に眠っていたアニメーターの情熱と、コンピュータのテクノロジーの情熱が交わってやがてコンピュータアニメーション映画を作るという新たな夢が思い浮かびました。

そしてサザランドの元で3Dに質感を与えるテクスチャマッピングやZバッファ、Bスプラインなどの基礎を発見したのです。

そしてさらにキャットムルは在学中にレンダリングなどの新たなアルゴリズムを考案して、1972年にはSF映画『未来世界』というはじめてのCGアニメーションを担当したのです。

そんな中、大学を去ったキャットムルは内定をもらっていながら、ニューヨーク工科大学にて何気なくコンピュータグラフィックラボのチームを結成したのです。これが後のピクサーの始まりとは誰も予想はしていませんでした。

1979年にアニメーションに目をつけた、『スターウォーズ』の監督でおなじみのジョージ・ルーカスはキャットムルをルーカスフィルムのコンピュータ事業部へと招きます。

キャットムルはデジタル合成技術を促進して、1984年にはディズニーのアニメーターであるジョン・ラセターをルーカスフィルムへと誘ったのです。

しかしここで、ジョージ・ルーカスが離婚騒動を起こしてその慰謝料に奥さんから莫大な金額を支払わなければならなくなったので、ルーカスは泣く泣くこの事業を売却を決めたのです。

そしてその事業を買うと申し出た人物こそ、アップルの創業者であり解雇されたスティーブ・ジョブズでした。ジョブズは1000万ドルでルーカスから事業を買い取ると、それを新会社としてピクサーと名付けました。

しかし、ジョブズの当初の考えは、追い出されたアップルに対抗するためのコンピュータの開発で、『ピクサー・イメージ・コンピュータ』と名付けられたコンピュータやアニメーション作画ソフトを販売するために新たなスタートを切ったのです。

一方のキャットムルたちはというと、そのコンピュータを宣伝するための短編CGアニメなどを製作するという役割でした。しかし、努力は虚しくピクサーのコンピュータは高すぎて学校やディズニーといった企業に販売できてはいたものの、赤字続きでジョブズ自身がポケットから会社に注いだ5400万ドルもの資金でなんとか存続していました。

そこでピクサーは大きく舵を取り直して、コンピュータ部門を売却すると、本来やりたかったCGアニメーションに打って出ます。

ジョブズがピクサーを買収してから約10年間、何度も経営が危なくなりながらもジョンラセターのCMなどが賞をとったりと実績ができていき、ある時ディズニーから映画の製作依頼が舞い込んできました。

ようやくきた長編映画のアニメーションに、CTOのキャットムルは開発者として関わり、そして1995年にようやく初めてのディズニー共同製作映画『トイ・ストーリー』を完成させ、その年最高の興行収入を記録しました。

翌年にキャットムルは、デジタルイメージ合成分野のパイオニアとしてアカデミー賞を受賞し、さらに2001年には映画作成レンダリング分野でオスカー賞をも受賞され世界に認められるコンピュータアニメーターとして名を轟かせたのです。

以降、ジョブズの采配で株式公開、そしてディズニーと5点の作品の利益を折半する契約をして『モンスターズインク』、『ファインディング・ニモ』などのヒット作を次々と生み出していくことになります。

優秀な人材を確保するために、社長でもあるキャットムルのモットーでもある『自分よりも優秀な人物を雇う』や『伸び盛りの人材を確保する』などが影響していたのです。

例えば『バグズライフ』では、たった4分間のストーリーを作るだけでもピクサーのスタッフ15人がかりで4ヶ月もの期間をかけて考えられていたりして、一つの映画のストーリーを作るのに1年〜2年以上は費やされるといいます。

そして2006年にディズニーがピクサーを買収すると、キャットムルはディズニーのアニメーションスタジオの社長に就任して、ハリウッドのアニメーションを先導する人物にまでなったのでした。

 

キャットムルは小さい頃から好きなアニメを追いかけて、アニメーターを目指したものの一度は諦めてしまいました。

しかし、コンピュータという別の情熱を持てるものを見つけ、一度諦めたアニメーションと融合することで世界の人々を感動させる新たな表現方法を生み、夢を叶えたのです。

たとえ好きなことを諦めたとしても、情熱を持てるものを追いかけていけばいずれ本当にやりたかったことに結びつくのかもしれません。

 

「もしあなたが乗り越えられない問題に直面したのであれば、それは別のやり方で試してみる時なのかもしれません」

 

私は、誰でも問題を解決し、創造的に自分を表現する力を秘めていると信じている。

– Edwin Catmull

 

 

【参考記事】

https://en.wikipedia.org/wiki/Edwin_Catmull

【写真引用元】

https://en.wikipedia.org/wiki/Edwin_Catmull

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