夢へのキャリア

デカい夢ほどライバルは少ない!Google創業者ラリー・ペイジ

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400px-Larry_Page_in_the_European_Parliament,_17.06.2009

パソコンやスマホなど、インターネットに接続しているのであれば必ず使うものがありますね。

そう、検索エンジンです。

 

日本は以前まではヤフーが主流でしたが、最近ではCMなどの効果もあってかグーグルを使う人がほとんどだと言います。

実際に私は以前、シンガポールでグーグルの主催するイベントに参加してから、検索エンジンはグーグルを使うようになりました。

YouTubeなどを使うにはグーグルのアカウントが必要になりますからね。

 

ということで今回は、YouTubeから最近ではアルファベットまで、世界のITのトップに君臨するグーグルを創業したラリーペイジについてみていきたいと思います。

 

Google創業者ラリー・ペイジ

 

今では当たり前となった検索エンジンやページランクといったインターネットに欠かせない機能を世界に浸透させたGoogle。

わずか20年足らずもの期間で世界のトップのIT企業に成長し、6万人もの優秀な人材が大きな組織を支えるものとなっています。

そんな兆単位のビジネスを生み出したのはとある大学院生2人組、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンですが今回はラリー・ペイジのストーリーについてみていきましょう。

 

1973年3月26日、コンピュータと人工知能の大学教授の父とユダヤ人の母との間にラリー・ペイジは生まれます。

 

父も母もコンピュータに関しては専門だったので、家にはコンピュータに関する雑誌などがたくさん置いてあり、ペイジは6歳になるころにはコンピュータを扱っていました。

そんななか、ある時ペイジはニコラ・テスラの伝記を見つけてそれを読みました。

テスラは、伝記を普及させた天才科学者でありながらもエジソンに使われ一人ぼっちでホテルで亡くなったと言うことを知り、少年ペイジは涙をして『技術だけでなくビジネス観点も大切だ』ということを感じました。

そんななか、ミシガンの高校と大学を優秀な成績で卒業したペイジはそのあと、スタンフォード大学の大学院でコンピュータサイエンスを学ぶために進学します。

ところが入学して間もなく父親が呼吸困難になり、病院へと運ばれましたがその2ヶ月後に他界してしまったのです。

この時からペイジの心にはぽっかりと穴が開いたようになりました。

そんななかでもペイジは同じスタンフォードに通うユダヤ系のセルゲイル・ブリンと出会ったのです。

二人は最初はあまり仲は良くありませんでしたが、お互いにインターネット上のページ間の関係について関心があるということを知ると互いに打ち解けていきました。

そして1995年、二人はネットをつなげるページ間についての論文を共同で提出するまでになります。

そんななか、二人はページをつなげるハイパーリンクを観察しているうちに、このリンクが巨大な評価システムになって、利用者を人気のあるページに誘導しているということに気がついてきました。

そして二人はそのリンクの重要性を評価することによって、検索エンジンを開発したのです。その名もバックラブ。

しかし、当時はマイクロソフトのインターネットエクスプローラーを始め、インターネットはもう普及しており検索エンジンもヤフーなどの大手が担っていました。

そんな時に、誰が新しい検索エンジンを利用するのかということで、二人のアイデアは誰からも相手にされず買おうという人は現れませんでした。

そこで二人は自分たちでビジネスを始めることを決意します。

まずペイジは安くて簡単に手に入る部品でコンピュータサーバーを組み立てる方法を考えて、専門の高価なマシンには手を出しませんでした。

大学のコンピュータサイエンス学部の建物の搬入口で、放置されているコンピュータから部品を拝借したり、クレジットカード3枚の限度額を使ってハードウェアを揃えると、それをペイジの寮の部屋で構築しました。

そしてそのあと1998年9月にカリフォルニアのメンロパークでガレージを貸してもらい、そこで従業員4人とともに過ごすことにします。

当時はインターネットの業界に活気があったためか、友人や家族、投資家から100万ドルの資金調達に成功したのです。そして社名をGoogleとしてそこでビジネスを始めるのでした。

ところが、1999年当初、企業から2500万ドルの投資を受けたにもかかわらずいきなり600万ドルの赤字を計上したのです。当時の二人は完全に検索エンジンを構築するシステムに注力して、マーケティングに関しては文字通り一切お金をかけませんでした。

二人はいい商品を作れば勝手に口コミで広がっていくと信じていたのです。

そのため、社員が『ブランディング』という言葉を使うことを禁止して『Don’t Be Evil (悪事を働かなくてもお金は稼げる)』をスローガンにしたと言います。

 

二人が思い描いた通り、Googleの検索エンジンは瞬く間に広がっていき、赤字を計上したに年後には600万ドルの純利益、そしてその3年後の2004年には32億ドルの売り上げを計上したのです。

その収益のほとんどが検索した時に、上位に表示されるAdwardsによる広告収入だと言います。

確実な収入源を確保していなかった新興企業は、2004年になってようやく株式公開をするとGoogleは世界最大のメディア企業に躍り出たのです。

そしてペイジは2015年には297億ドルと世界で19番目の資産家となって、IT業界の重要人物の一人となったのでした。そんなペイジは2015年10月に、ブリンとともに新たにAlphabet (アルファベット)という会社を設立すると、GoogleをAlphabetの子会社にしたのです。

 

G is for Google (GはGoogleのため)と言っていることから、Googleのような企業をあと25個ほど作るつもりなのかもしれません。

 

始め、ペイジが構想した考えは人々には受け入れられず、その大きさゆえに多くの人たちからは不可能だという声すら上がりました。

しかし、ペイジはのちにそのことについてこう語っています。

「そんな馬鹿なことはできない」と誰もが思うことならば、競争相手はほとんどいない。

自分を信じる力と不可能なことなんて何もないということを信じる力が、とてつもなく大きな企業を世界に生み出す原動力となったのかもしれません。

あなたが思い描く夢があるのならば、そこに不可能の烙印を押すのはもうやめましょう

 

本当にすごい夢が姿を現したときは、つかまえなくちゃいけない!

-Larry Page

 

参考記事

https://en.wikipedia.org/wiki/Larry_Page

http://logmi.jp/9410

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