思い出して欲しいのですけれども、今日の朝あなたは何を食べましたか?
今日1日の活力として朝食にパンやご飯を食べている日本人は多いかと思います。かつてパンが常識だったアメリカで、新たな朝食の文化を作り出した兄弟がいました。
あなたももしかしたら今日の朝食べたかもしれませんね。
本日ご紹介するのは、コーンフレークの生み出したケロッグ兄弟です。
一般的に、ケロッグ兄弟の話をすると、出来が良い博士のジョン・ケロッグの話題が多いです。Wikipediaにもジョンケロッグのことしか書かれておりません。
しかし今回はいつもガキ大将が勝つわけではないということで、ダメな弟のウィリアム・ケロッグの方について書いていきたいと思います。
コーンフレークを生んだケロッグ兄弟
ボウルにシリアルを乗せてミルクを添え、お好みでフルーツやヨーグルトをトッピングして朝食を楽しむ人も多いのではないでしょうか?
100年前に偶然生まれたコーンフレークは現在180もの国で新しい朝食文化を作り出すに至りました。
今回はコーンフレークを生んだケロッグ兄弟の弟、ウィリアムケロッグについて見ていきましょう。
ケロッグ創業者ウィル・キース・ケロッグ
1860年4月7日、のちに新たな食文化を広めたウィリアム・ケロッグはミシガン州にて生を受けました。
父はブラシ職人をしておりました。
勉強ができ優秀な兄ジョンに比べ、ウィリアムは勉強ができずに小学校6年生を終えたところで中退します。
そのあとブラシのセールスを始めますが鳴かず飛ばずで結局うまくはいきませんでした。
一方の兄は、順当に医学校まで進んで学位を取得するとセブンスデー・アドベンチスト協会のサナトリウムの館長として就任します。
そしてやがて兄弟でミシガン州のバトルクリークにある保養所でともに働くことにします。
兄は尊大なリーダータイプで、いつも白衣を着ていては時々肩にオウムを乗せていました。
一方のウィリアムは兄の経理担当として脇役で、仕事のマネージャーを務めて兄を『ケロッグ博士』と呼びながら意向通りに動いていたのです。
ひげそりや靴磨きから何をするときも兄を『ケロッグ博士』と呼んでいました。
兄弟が保養所で働いていたあるとき、患者が朝食に出したパンを砕いて食べていることに気がつきました。
当時の朝食用穀物は硬くて、患者がはを痛めることに心配した兄弟は二人で新しい穀類の実験をすることにしたのです。
小麦粉をローラーで伸ばして焼いてみては、色々と試行錯誤をしていました。
そして1894年のある日のことです。
いつものように実験をしようと小麦粉の生地をローラーで伸ばしていると、ジョンは患者に呼び出されて実験を中断しました。
そのおかげで生地が放置されてしまい、2日間ですっかり乾燥してしまったのです。
それでもと2人が乾燥した生地をローラーにかけてみると粉々に崩れてしまいます。
そこで兄弟は砕けた小麦粉の破片をパリパリになるまで焼いて、そこにミルクを添えて患者に食べてもらいました。
すると患者さんからはとても喜ばれ、二人はこの食べ物に『グラノーズ』という名前をつけました。
患者は退所したあとも郵送してくれと頼むほどでした。
そこでジョンはシリアルの製造過程の特許を取得すると、サニタス・フード・カンパニーという通信販売会社がケロッグという名前を使うことを承諾します。
そしてウィリアムはその会社の経営に残ると、フレークの研究に没頭します。
そしてついに1898年に小麦粉をトウモロコシに置き換えて、麦芽味を加えることでコーンフレークを完成させたのです。
その販売先として、保養所の元患者に呼びかけてなんと20万ドルもの売り上げを上げることに成功しました。
これを皮切りに、兄ジョンはウィリアムに会社の株式と交換にシリアルに関する特許を譲り渡したのです。
しかし、ジョンがスタッフに株式を渡したのを買い戻して、ウィリアムは株式の過半数を所有して1906年には社長に就任したのです。
このときからウィリアムは、『私はコーンフレークを通信販売するつもりはない!トラックに乗せて売り歩きたい!』と宣言して、箱にケロッグの署名を印刷しました。
これにより他の健康食品とコーンフレークの違いを際立たせて、1914年にはカナダに進出。
その8年後にはイギリスに進出すると、会社名を『ケロッグ・カンパニー』に変更しました。
1924年にはケロッグ初の工場をオーストラリアに建設し、その後日本、ラトビア、インド、中国、メキシコと規模を広げました。
ウィリアムのマーケティングは独特で、主婦層をねらって広告を打ったり、『水曜日はウィンクの日』として店頭でウィンクをした主婦にケロッグのサンプルを無料でプレゼントしました。
さらには食料品店にシリアルを置くように説得した主婦にはケロッグ1年分を送ったり、おまけやコーンフレークの献立を箱に乗せて購買意欲をどんどん上げていったのです。
巨万の富を手に入れたウィリアム・ケロッグはその財産のほとんどをケロッグ財団などで寄付に使ったり、学校などの地元施設につぎ込んだと言います。
1951年に91歳で他界した後も、全世界の3分の1のシリアルをケロッグが占め、年間1兆円を超える売り上げを誇っていると言います。
かつては何事もうまくいかずに兄を博士と呼びながらこき使われていたウィリアムでしたが、たった一つの偶然からチャンスを広げて巨万の富を得るまでになりました。
この世の中には多くの偶然が必ず誰にでも起きますが、その偶然をチャンスにできる人は実に少ないです。
「あなたの人生にはあと何度偶然は起きるのでしょうか?」
今、あなたの目の前にあるチャンスをつかめば未来が変わってくるかもしれません。
【参考記事】
https://en.wikipedia.org/wiki/Will_Keith_Kellogg
【参考書籍】
100Inc. -世界的企業100社のターニンク゛ホ゜イント
【写真引用元】
https://en.wikipedia.org/wiki/Will_Keith_Kellogg