夢へのキャリア

酒池肉林!プレイボーイになった男ヒュー・ヘフナー

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20代の美女を何人も豪華な邸宅にはべらかせ、シャンパンをのどに流し込み、そして気に入った美女を連れて夜を共にする。

そんな絵に描いたような男にとっての贅沢をまさに実現している人物がいます。

彼は90歳になった今でも60歳年下の美女と結婚しては、そのアメリカンドリームを謳歌しているといいます。

今回は、プレイボーイを創刊したプレイボーイな男、ヒュー・ヘフナーについてみていきたいと思います。

プレイボーイな男ヒュー・ヘフナー

1926年4月9日、シカゴにあるメソジスト教の家庭でヒュー・ヘフナーは生を受けました。

地元で学校に通っていましたが、ヘフナーは小さい頃から雑誌に興味を持っていて10歳の時には自分で簡単な新聞を創刊したりしていました。

そしてその性欲を表したのか、学生時代には『シャフト』という学生雑誌を編集して『今月の女学生』という特集記事を掲載していたのです。

そんなヘフナーは18歳で第二次世界大戦のときに、ライターとして働き新聞記事を書いたりして戦争に従事していました。そのあとは復員兵援護法のもとイリノイ大学に通い、初恋の相手と結婚するなどごく普通の生活をしていたのです。

シカゴ・カートン・カンパニー広告のコピーライターとして働いていたヘフナーでしたが、やがて出版社を転々としながら『エスクァイア誌』でプロモーション・コピーライターとして働くようになります。

このときの週給は60ドルだったのでまた次にチルドレンズ・アクティビティーズという雑誌の販売担当ディレクターになりました。

こうして職を続けていくうちにヘフナーは仕事や結婚生活に活気がないと思い始め、こんな考えを抱くようになっていったのです。

『もし、このまま何も手を打たなければ両親と同じになってしまう。』

そしてここで自分で雑誌の創刊することを思いついたのです。

かつて働いていたエスクァイア誌の愛読者をターゲットにして、編集はエスクァイアよりももっと現代的なものにしようと考えました。当時の男性雑誌はどれも中年層をターゲットにするか、自然な冒険ものが多かったので、ヘフナーはそれとは反して都会的な洒落た若い男性を狙うことにしたのです。

そして1952年、自分の家具を抵当に入れたり友人や親戚から8000ドルもの資金をかき集めると、様々なアイデアをまとめ上げてアパートの自室で夜な夜なトランプテーブルで仕事をする生活を始めたのです。

融資元に対して返済する余裕はなかったものの、著作権やメディアについていくらか知識があったので、パブリックドメインや安価で手に入れられるものを探し始めたのです。

そんな中にはコナンドイルの小説の著作権を25ドルで買い取ったりすることもありました。

そしてそんんなあるとき、ヘフナーはマリリン・モンローのヌード写真の噂を聞きます。近くの出版社がマリリンモンローのヌード写真でカレンダーにしたのですが、それがあまり売れていなかったのです。

そこでヘフナーはそのチャンスを掴むために出版社をいきなり訪れて、どうにか説得してそのカレンダーの権利を500ドルで手に入れたのです。

ここでセールスマンの才能を発揮したヘフナーは、流通業者にこんな手紙を書いたのです。

『この秋、革新的な男性雑誌、スタッグパーティが創刊されます。過去に例のないベストセラーになるでしょう。-ネイションワイド・ニュース社 ゼネラルマネージャー ヒュー・ヘフナー』

もちろんネイションワイド・ニュース社はヘフナーと妻の二人だけしかいませんが、ヘフナーは自分の立場を様々に使い分けて、編集発行人、広告担当ディレクター、販売担当ディレクターと名乗り、妻が署名していかにも秘書がいると思わせたのです。

そんななか、『スタッグ・マガジン』という雑誌から『スタッグ・パーティ』という名前にするのはやめろという手紙が届きました。

ここで友人たちと話し合った結果、雑誌の名前を当時倒産したばかりの自動車会社から『プレイボーイ』に変えたのです。

そしてプレイボーイの雑誌はマリリンモンローのヌード写真が目を引いて、7万部を超える注文を得るまでに至ったのです。ヘフナーはこの実績をもとに、印刷会社を2社説得してプレイボーイを印刷させて、支払いを後日に回すことに成功します。

早朝3時、赤ん坊を寝かしてペプシをのどに流し込みながらプレイボーイでの記事を書き、損益分岐点を超えるためには3万5000部の販売が必要だと確信しました。

そこでマリリンモンローを売り込むために、ヌード写真を修正して表紙に使って、1953年12月にsんぶんスタンドに悩殺的な雑誌が立ち並びました。

するとヘフナーの予想を超えて、5万部が一気に売り上げられその後1年で17万5000部にまで達したのです。

そしてビジネスが成功したヘフナー自身はプレイボーイ邸を建てると、プレイボーイのモデルたちとの恋仲にまで発展していったのです。

その結果、結婚生活は終焉を迎え、その後数回にわたって結婚と離婚を繰り返すことになります。

さらに急成長していったプレイボーイでしたが、秘書が麻薬所持で捕まり自殺したり、プレイボーイのプレイメートが殺害され、プレイボーイのカジノの違法性が発覚してしまったのです。

プレイボーイを創刊したヘフナーの時代が終わったのは誰の目からしても明らかでした。

 

ヘフナーはそれから娘のクリスティーに経営を任せて、編集長としてそのポストを残しました。

ところがヘフナーの高級マンションに美女を呼び、酒池肉林の生活や伝説的なパーティは多くのメディアの注目を集めるので結果的にプレイボーイの認知度は世界的に上がっていったのです。

こうしてプレイボーイによって莫大な資産を手に入れ、好きなことを探求し続けたヘフナーは90歳となった今でも若々しく20代の女性に囲まれその人生を謳歌しているといいます。

 

ヘフナーは職を転々として働いていた時に、このままではだめだと思って自分で雑誌を創刊することを決めてから全てが動き始めました。

そして、結果的には1000人以上もの女性と夜を共にしてその富と名声を存分に謳歌する人生を送ったのです。

人生は求めたものしか手に入らないというのであれば、あなたが本当に求めたいものはなんなのかを明確にする必要があるのかもしれませんね。

 

もし社会や周りの人達にあなたを定義されては、あなたはその定義以下となってしまう

Hugh Hefner

 

参考記事

https://en.wikipedia.org/wiki/Hugh_Hefner

参考図書

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