夢へのキャリア

国家予算を凌ぐ男!Microsoft創業者ビル・ゲイツ

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Bill_Gates_June_2015

 

世界一のお金持ちって誰でしょうか?

 

その定義や時期によっても変わってくるかと思いますが、たいていの人たちはある人物を頭に思い浮かべたのではないでしょうか?

 

そうです。

ビル・ゲイツですね。

世界一のお金持ちとして君臨するビル・ゲイツはその総資産は10兆円に迫る勢いで、タイの国家予算をはるかに超える資産を保有しているといいます。

今回は世界一有名な金持ちであるビル・ゲイツがどのようにして一代でそこまでの富と名声を得るに至ったのかを見ていきたいと思います。

 

マイクロ・ソフト創業者ビル・ゲイツ

1955年10月28日、シアトルで有名な弁護士と銀行家の娘の裕福な家庭にて、ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ三世は誕生しました。

裕福な家庭でしたが、ゲイツ自身は自分に対してお金を使うことはなく、日曜日は教会に行き聖歌隊の一員として歌ったり、ボーイスカウトに参加したりと普通の少年でした。

また、小説を読んだり発明家などの伝記を読んだりもしており、小学校の時には優秀な成績を収めて卒業したのです。

そして12歳になると、シアトルで一番授業料が高額と言われるレイクサイド中学・高校に通ったのです。そしてゲイツはここで運命的な出会いをします。

当時、学校には珍しく初期のコンピュータが置いてあり、それに興味を持ったゲイツは2歳年上のポール・アレンとともに体育の授業をサボってまでプログラムを書いたりしていました。

そして二人で完成させたのが時間割を管理するプログラムでした。

しかしそのプログラムが学校に18万円ほどで売れてしまい、当時13歳だったゲイツはコンピュータは将来確実に伸びると予見したのです。

当時、ボサボサの髪にヨレヨレの服、流行遅れのメガネのオタクの格好をしたゲイツは、アレンとともにトラフォデータ社を創ると、そこで交通量計測システムを作っては州政府に納入したりしていました。

そして1973年にハーバード大学に入学したゲイツは法律や会計を学ぶことにします。

しかしあまり情熱が持てずに、何時間もポーカーをやっては数十万円の借金を作ったり、部屋に座り込んでは残りの人生をどう生きるかを悩んで小説を読み漁ったこともあったそうです。

しかし、そんなゲイツにチャンスを持ってきたのはやはり友人のポール・アレンでした。

アレンは19歳だったゲイツに『ポピュラー・エレクトロニクス』誌の表紙に載っていた、世界初のパーソナルコンピュータの写真を見せました。

そのマシンの名はアルテア8800。

当時何十万ドルもしたコンピュータの中、アルテアはわずか395ドルという値段で組み立てキットとして販売されていました。

ここでゲイツはこのマシンを手に入れよう、と思うのではなく、このメーカーはソフトを作れる人間が必要だと考えて、電話をするとBASICという言語を移植させたので購入しませんか?というオファーをしました。

しかし、ゲイツはこの時、何も作成していませんでした。しかし、その後に返事が返ってきたために、それから実際に制作を開始しました。

ゲイツとアレンは寝食を忘れてプログラミングをして、アレンはBASICの本社にあるニューメキシコへと向かう飛行機の中でプログラミングを完成させたのです。

これでBASICという言語は売れて、これを機にゲイツとアレンはニューメキシコへと移ると、マイクロソフト社を起業したのです。

当時20歳だったゲイツは両親にハーバードはいつか戻ると約束をして休学をしたのです。

ゲイツは11人の従業員とともに、『すべての家庭、すべての机にコンピュータを』という目標を掲げ、どう世界を乗っ取っていくかを社員の前でホワイトボードに書いていました。さらに、自身も鬼のように働き、事務所の床で大の字になって寝ている姿を発見されることもしばしばありました。

コモドール、NRC、そしてアップルといったハードウェア会社と取引をしていたゲイツは、アレンとともにプログラミングを学ぶために、会社のコーヒーで汚れたプログラマーの捨てたメモをゴミ箱から抜き取って学んでいました。

そしてそんなある時、商用コンピュータ会社IBMがソフトウェアを買い取るために、様々なメーカーを探していました。

そしてある時ゲイツたちに、『IBMのコンピュータを動かすソフト開発は可能か?』と問いかけました。そして本社に訪れたゲイツはこれまた可能だと答えたのです。

しかし、IBMのコンピュータはゲイツが知っているものよりもはるかに複雑なものでした。そこでゲイツは近所で有名なプログラマーの存在を思い出し、早速彼とコンタクトを取るとそのソフトを確認しました。

するとその完成度は素晴らしいもので、ゲイツはそのソフトを1000万円ほどで購入します。

そしてアレンとそれを改良すると、IBMに普通に販売するのではなく、IBMのコンピュータが1台売れるごとにライセンス料として600円を徴収するという提案をしたのです。

するとゲイツの先見の明によって、コンピュータは瞬く間に売れていき、3年後の1983年にはマイクロソフト社の利益はおよそ230億円にまでになっていたのです。

しかしここであるライバルが台頭してきます。

それがアップル社を創業したゲイツと同い年のスティーブ・ジョブズでした。

ジョブズは1984年にそれまでになかったマウスやアイコンで簡単に操作ができるマッキントッシュを発表したのです。それまではキーボード操作だったために、この画期的なマッキントッシュは58万円という値段でも飛ぶように売れていったのです。

するとゲイツはアップルを潰すためにある行動に出ます。

アップルへソフトを取引していたMicrosoftでしたが、その際にゲイツはアップルの社員を質問攻めにして内部情報を聞き出していました。

さらにはマッキントッシュをエンジニアに買い与えて、そこから盗める技術を盗めと指示したのです。

そして翌年に完成したのがWindowsのパソコンで、アップルの半額の値段で販売をしたために爆発的にコンピュータが世界に普及していったのです。

そしてWindows95に関しては、発表して5分で1100万本が販売されていき1億本以上ものメガヒットを記録して、Microsoft帝国として君臨していったのです。

その後、インターネットに乗り遅れるも、インターネットエクスプローラーを無料で公開するなどして世界のコンピュータの80%以上を動かすまでになったのです。

現在は、その資産を使って慈善団体への多額の寄付をしたり、教育への投資に全力を尽くしているといいます。

国家規模の総資産を築き上げた超大金持ちのビル・ゲイツでしたが、その過程を辿ると初めは小さな商売からでした。

しかし、将来を見据えて果敢にも高い壁に挑戦し続けたことで、高みへと登ることができました。

「もっと目の前に来る少し高い壁に挑戦していきましょう!」

私はものごとをとことん突き詰めるのが好きなんだ。そうすれば、たいてい良い結果が出るから。

-Bill Gates

【参考記事】

https://en.wikipedia.org/wiki/Bill_Gates

 

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