夢へのキャリア

リーバイスにイラついてギャップ創業!ドナルド・フィッシャー

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買うならどれ?

無難で何にでも合うあのジーンズ?

目立たなくてもこの先5年くらいは履き続けられるから?

それとも体型を強調させるファッショナブルなパンツ?

ただしこれは6ヶ月くらいで流行遅れになっちゃうけどね。

 

手軽に着用できる服を探す際に訪れるギャップは、その答えを出そうとはしません。

ギャップはチノパンや素朴なTシャツを売っていることで有名になっていきましたが、若者向けのファッショナブルな世界の頂点をも経験した企業でもあります。

 

今回はアパレル企業の大手ギャップを作り上げたドナルド・フィッシャーの人生について見ていきたいと思います。

全米1の衣料小売店ギャップ

日本はユニクロ、スペインはZARA、そしてアメリカで最も大きいアパレル企業がオールドネイビーを傘下にもつGAPです。

世界に4000店舗近く構え14万人近くの人が働くモンスター企業はある夫婦がジーンズのサイズにイラついたところから始まりました。

今回はGAPを41歳で創業したドナルド・フィッシャーのストーリーについて見ていきましょう。

 

 

GAP創業者ドナルド・フィッシャー

 

1928年9月3日、カリフォルニアはサンフランシスコにてユダヤ系の父のもとドナルド・フィッシャーは生を受けました。

中流階級の家庭に育ったフィッシャーは1946年には高校を卒業して、1951年に23歳でカリフォルニアのバークレー大学で学位を取りました。

学生時代は水泳やポロの選手としてかなり活躍をしていましたが、ちょうどその頃、母方のおじいさんが亡くなったので母がその家具に関する商売を受け継ぐことになりました。

ところがフィッシャーが大学で専攻していた不動産ビジネスに関する教授がとても面白くて、フィッシャー自身は家庭の商売とは関係のない不動産の考えばかりが頭をよぎっていたのです。

しかし大学を卒業すると海軍のオフィサーとして働くかたわら、家具の商売の手伝いをすることにします。

フィッシャーはここで父親から商売のやり方を教わったことに加え、母からも『イエスと言える時は絶対にノーと言うな。』と教わってたのです。

そして1960年代に入るとフィッシャーは自分で将来を切り開くために商売を始めようと心に決めたのです。

その内容は古びたホテルを改装して老人たちが住めるような居住地に変えるというものでした。フィッシャーは両親からの教え通り決して安住せずに、常に新しいもっといい方法はないかを探求していたのです。

1950年から60年代の期間はまさに失敗と成功の連続でしたが、そんな中でも生涯をともにするドリスと結婚をするに至ります。

 

そして1960年代のある時、フィッシャーがサクラメントにキャピタルパークホテルを購入したのですが、そこの一つの区間をリーバイスの営業マンに貸し出したのです。

フィッシャーはホテルにリーバイスのような展示場があれば活気付くと考えていたのです。

ある時、フィッシャーがリーバイスのジーンズ一式をそこのお店から購入しました。ところがどのジーンズも微妙にサイズが合わずに、フィッシャーは交換してくれるように従業員に話に行きました。

しかし、従業員は『当店ではできないので市街のお店にお尋ねください』としか言いません。そこで他の店も尋ねてみるのですが、そこでフィッシャーは服のサイズがあまりにも少ないということに気づいたのです。

そこで一つの店にも様々なサイズの在庫が必要と考えたフィッシャーは妻のドリスと一緒に1969年にギャップをオープンします。

フィッシャー41歳の時でした。

当時はヒッピーの全盛期で、ジェネレーションギャップの話をしていたことからギャップという名前が付けられました。

店頭にリーバイスのパンツを並べ『当店にはリーバイスの在庫が4トン』と宣伝したギャップはその後順当に店舗を増やしていって10年も経たないうちに店舗を6店にまで増やしていき上場にまでこぎつけました。

ところがここで競合との価格競争が始まり、ブーム破綻の危機に遭遇しては他のブランドのレーベルの力を借りながらなんとか生き残っていきます。

他店と対抗するために商品のラインナップを増やそうとするのですが、会社内でのファッション感覚はお粗末なものだったために結局は在庫をディスカウントストアで大量に売りさばくこととなります。

これによってギャップに地下のバーゲンセールのようなうさん臭い印象がつき始めたのです。

このピンチを脱するために1983年、フィッシャーはニューヨークの小売の達人ミッキー・ドレクスラーを雇うことに決めます。

ドレクスラーはギャップの経営陣との会議に参加すると、出席者に小さな飾り板を手渡します。そこにはたった一言『単純にしよう』とだけ書かれていました。

 

ドレクスラーの初仕事は各店舗にある見栄えのしない衣料品をすべて破棄することでした。そしてギャップの根幹はジーンズとTシャツと見抜き、それらを自社生産することで品質を上げコストを抑えたのです。

 

さらには来店客が手にとって乱れた服を常に綺麗に畳み直しておくことで、常に清潔感がありピカピカのイメージを作り出したのです。

さらに店に置く在庫数も減らすことで希少感を演出して服一つ一つに特別感を出して行ったのです。

この経営の変革によってギャップの店舗は1990年には965にも増えて、かつてフィッシャーがジーンズを持ち込んだリーバイスに次いで全米2位の大手アパレル企業にまでなったのでした。

しかし1994年にオールドネイビーが誕生した翌年、フィッシャーはギャップのCEOの座から退きます。

しかし、信頼できる人たちのおかげでその後もフィッシャーが作り上げたギャップブランドは世界中に広がり、今では14万人が働くアパレル業界随一の企業となったのでした。

フィッシャーは両親に加え、ともにギャップを立ち上げた妻のドリスや優れた人と巡り会えてラッキーだったと答えています。

 

あなた一人でできないことも、他人に助けてもらうことで達成できることの方が大きいのではないでしょうか?

 

変化か失敗。
Change or Fail.

-Donald Fisher

 

 

 

【参考記事】

http://www.gapinc.com/content/dam/gapincsite/documents/DonFisher_Bio.pdf

https://en.wikipedia.org/wiki/Donald_Fisher#cite_note-2

【参考図書】

100Inc. -世界的企業100社のターニンク゛ホ゜イント

【写真引用もと】

http://www.philanthropyroundtable.org/almanac/hall_of_fame/don_fisher

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