夢へのキャリア

三日坊主が成功要因!発明王トーマス・エジソン

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おっす!飽きっぽい村上です!

 

好奇心が旺盛な人って飽きっぽいらしいですけども、たとえば三日坊主という言葉がありますよね?

私もそうなんですけども、『よし!毎朝走るぞ!』とか『ブログは毎日書くぞ!』と最初に思っても続かなかったりします。

 

まァ、実は飽きっぽえれば飽きっぽいほど発明家とかアイデアマンに向いているのかもしれません。

 

今回ご紹介する人物もまた飽きっぽくて、ヘリコプターとか小説とか、鉄鋼採掘業とか色々と手を出そうとして諦めた人物だったりします。

 

それが孤高の発明家でもあるトーマス・エジソンです。

今回は、発明家&事業化でもあったエジソンのサクセスストーリーについて見ていきたいと思います。

 

かなりの日用品に関わってるトーマス・エジソン!

 

エジソンといえば、「1%のひらめきと99%の努力」という言葉通りコツコツ勤勉なイメージを持つ人が多いかと思います。

実際、エジソンは様々なやり方を試して電球や家電製品など1300もの発明品を残して、私たちの生活を一変させてくれました。

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今回はそんな発明王と呼ばれたエジソンのサクセスストーリーについて見ていきたいと思います。

 

発明王トーマス・アルバ・エジソン

 

1847年2月11日、アメリカのオハイオ州にてオランダ系の父とスコットランド系の母との間にエジソンは生まれました。

幼少のときから好奇心がいっぱいのエジソンは小学校に通うようになると、『なんでABCはあるの?』『なんでりんごは赤いの?』と先生に質問ばかりしていたので、『わかりきったことを質問するな!お前の頭は腐ってる!』と怒られました。

 

それを聞いたエジソンの母親は先生に対して、『それはあなたの頭の方がおかしいんです!』と激怒して、エジソンを小学校に入学させてわずか3ヶ月で辞めさせてしまいました。

エジソンの母親は元々教師だったので、代わりにエジソンに勉強を教えていき、エジソンは疑問に思ったことを自由に実験をして大きくなっていきました。

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ある時エジソンはヘリウムガスをヒントにして人が空を飛べる薬を作りました。しかしこの薬を友達に飲ませたところ、腹痛を起こして母親に怒られてしまったのです。

このときからエジソンは人体実験をすることはやめました。

そんなエジソンは12歳になると、戦争中でみんなが情報に飢えていたので、新聞を作って電車の中で販売をしていました。ただ、新聞で書いた批判の文章に怒った人がエジソンをボコボコにしたので辞めることになります。

エジソンが15歳になったあるとき、駅で幼い子供が列車にひかれそうになったのを見て助けたことがありました。

そしてその子供は実は駅長さんの息子で、お礼にと駅長さんから数多くの電信の技術を学んで後々の発明へのスキルを手に入れたのです。

ただ、そんなエジソンも17歳のころはカナダの駅で夜間電信係という普通の仕事をしておりました。

その仕事内容は『何事もなければ1時間おきに見張りをしていることを電信で送って知らせる。』というものでした。

あまりにも退屈な仕事に飽き飽きしたエジソンは、ここで時計を使って発信機が自動で1時間おきに電信を送る機械を発明して、自分は寝ていたのです。

ところがしばらく経ったある日、毎回1時間ぴったりに送られてくる電信に不信感を抱いた上司がやってきてこっぴどく怒られました。

しかしこれがエジソンの最初の発明だったのです。

 

1868年、エジソンが21歳になったとき、ついに発明品で初めて特許を取得することができました。

その発明品とは、議会で賛成と反対の票を瞬時に集計してくれる電気投票記録機というものでした。

さっそくこれを導入しようと試みたエジソンでしたが、『牛歩戦術』という議会を長引かせる手法が使えなくなるということで全く採用はされませんでした。

このことからエジソンは、『人の役に立たない発明は意味がない』と学び、その後は人々の要望を汲み取ってから発明をするようになりました。

 

そんな中、翌年には株式相場表示機と言うものを発明して、業界からは大変歓迎され、その特許を譲ってほしいという声がありました。

はじめは2500万円ほどで売るつもりでしたが、実際には2億円近くで売れたのでエジソンは心臓が止まるかと思うほど驚きました。こうしてエジソンは発明家として本格的に人生を歩んでいくことにするのです。

その後、29歳までに122の発明品を生み出したエジソンは、メンロパークに研究所を構えると、『エジソン電灯会社』を作って電信機や交信機の発明に取り掛かります。

Greenfield Village Dearborn, Michigan

Greenfield Village
Dearborn, Michigan

メンロパーク研究所(復元)

このときにエジソンは、蓄音機や電話機、それから『ハロー』という挨拶まで発明していきました。

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1878年 蓄音機とエジソン

そんなあるとき、エジソンが着目したのが電球です。

当時の人々は灯油やろうそくで生活しており、夜はとても暗くしかも火事も頻繁に起こっていました。

実は電球はイギリスのスワンという人がすでに発明をしていましたが、とても寿命が短くて、電気を通すと中のフィラメントという部分が蒸発して無くなってしまうのです。

そこでエジソンは寿命の長い電球を作ろうとしますが、それでもわずか45時間しか寿命がありません。

エジソンはフィラメントになる素材を探してありとあらゆるものを実験して、試した素材の数は6000種類、10000回以上もの実験が行われたと言います。

そして、あるとき机の上にあった扇子の竹の部分をフィラメントに使ってみたところ、200時間も電気が灯ったのです。

ここからヒントを得たエジソンは10万ドルをかけて世界中から1200種類もの竹をかき集めて、実験を繰り返します。その結果、京都の八幡というところで育った竹から約2450時間も明かりが灯る電球が生み出されたのです。Edison_bulb

研究所のデモンストレーションに使われた電球

 

こうして電球を生み出したエジソンは、ジェネラルエレクトリック社を設立すると、一般家庭に電気を送って世界を照らして行ったのです。

ただ、そんなエジソンも成功続きとは言えませんでした。

実はエジソンは電気は直流で送ることが正しいと考えて、かつての部下で交流送電を考えていたニコラ・テスラに敗北してしまいます。

他にもSF小説を書こうとして諦めてしまったり、ヘリコプターも実験中に爆発させて諦めたり、歳をとってから鉄鉱採掘のビジネスをしようとしますがこれもあまりうまくはいきませんでした。

そんな失敗もありながら、2万回もの失敗からアルカリ蓄電池を作ったり、映画や無線機、トースターに処刑用の電気椅子など生涯をとおして1300もの発明を成し遂げたといわれています。

 

エジソンは、はじめは何にでも疑問を持つ反面、好奇心が強くて学校にすら拒否され、仕事も次から次へと変えてしまう三日坊主でした。

しかし、好奇心を活かして目的に向かってやり方を何度も変えたことによって、後世の人たちの笑顔を照らす孤高の発明王となったのです。

エジソンは何をやっても続かない人ほど、目標に向けて違う方法を次々と試すアイデアマンになれるということを教えてくれました。

 

「あなたが何かうまくいかないことに直面したら、やり方を変えたほうが成功するという合図なのかもしれません。」

 

私は失敗したことがない。

ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。

-Thomas Alva Edison

 

それでは最後まで読んでくれて本当にありがとうございます!

 

【参考記事】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%82%BD%E3%83%B3#.E3.80.8C.E7.99.BA.E6.98.8E.E7.8E.8B.E3.80.8D.E3.81.B8

http://www.edisonworl10.com/

http://www.niikappu.jp/kurashi/kyoiku/bunka-sports/record/history/edison.html

http://www.ritsumei.ac.jp/~hyodot/semihomepage/koduchi.take=yama1.html

https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Edison

【写真引用元】

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%82%BD%E3%83%B3#.E3.80.8C.E7.99.BA.E6.98.8E.E7.8E.8B.E3.80.8D.E3.81.B8

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