夢へのキャリア

実はマックを超えてる!サブウェイ創業者フレッド・デルーカ

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腹減ったー!

と言いながら、ファストフード店に駆け込む人々。

彼らの目的は、あの肉厚なパンに挟まれた野菜とお肉とソース!

え?マクドナルドでしょ?だって?

 

いえいえ、日本では都市部以外はあまり見当たりませんが、世界ではなんとマクドナルドよりも店舗数が多いファストフード店サブウェイ!

私もシンガポールで一度試したことがありますが、なかなかフレッシュな野菜やソースを自分で選べて楽しく美味でした。

 

ということで今回は、そんな世界一の店舗数をもつファストフード大手サブウェイを創業した人物についてみていきましょう!

サブウェイ創業者フレッド・デルーカ

世界で一番のファストフード店はどこかと聞かれて、多くの人がマクドナルドやケンタッキーを思い浮かべるかもしれません。

日本ではCMなどもなく認知度は低いですが、店舗数でいえば世界最大なのはサンドウィッチショップのサブウェイです。

今回はそんなファストフード企業のトップとも言えるサブウェイをわずか17歳で創業したフレッド・デルーカについてみていきましょう。

 

1947年10月3日、ニューヨークのブルックリンにてイタリア系アメリカ人の両親の元フレッド・デルーカは誕生しました。

両親は決して裕福とは言えずに、財布の紐は固かったのでデルーカはわずか5歳にして空き瓶の回収やベースボールカードを販売して、小学生になる頃には新聞配達のバイトを始めます。

しかし、その新聞配達方は他とは違って、手書きの手紙(ダイレクトメール)をつけたことで次々と大人たちがデルーカのお客さんとなっていったのです。

そんな中、10歳になるころにデルーカに運命的な出会いが訪れます。

それが両親の知人の家で行われたパーティで出会った、当時27歳の電気会社に勤務する物理学者のピーター・バックという人物でした。

バックはとても頭が良くて行動力がある人物だったので、デルーカは彼のことを心から尊敬して家族ぐるみで付き合うようにもなりました。

 

しかし、デルーカ一家が引っ越すとその関わりは疎遠になってしまいます。

そしてデルーカ自身はすくすくと育っていき、高校を卒業するころになってきました。

デルーカは金物店で時給1.25ドルでアルバイトをしていましたが、その時給では志望校のコネチカット州ブリッジポードにある大学で医学の学位を取るためにお金が足りないと悩んでいたのです。

そんななか、久しぶりに会ったピーター・バックが『1000ドルを資金提供するから、サンドウィッチの店を作ろう!』と持ちかけてきたのです。

はじめは驚いたデルーカでしたが、バックの必ずうまくいくという自信に後押しされて、その話に乗ることにしました。

二人は地元で人気のある惣菜店を見て回って、長さのあるロールパンのサンドウィッチに絞り込むことにしました。

その日のうちに二人はメニューや価格を決めて、10年後の目標として32店舗を出店すると決めるとデルーカは1000ドルの小切手を受け取りました。

それほどまでに二人は信頼し合っていたのです。

そしてその翌日にはデルーカは『いい場所が見つかった』とバックに連絡をして、その2ヶ月後の1965年にはそこに第1号店の『ピーツ・サブマリン』をオープンします。

家族や友人の支えもあったのと、デルーカが事前にポスティングをしたことで、店には1本のナイフしか用意していなかったにもかかわらず初日から大盛況だったのです。

ところが新規店舗にありがちな、オープンの景気が収まり冬に突入すると共にお客は来なくなってしまい、めっきり売り上げは減少していきます。

売り上げを上げるために広告やプロモーションも行いますが、それもことごとく失敗してしまいます。

そしてついに来客がゼロになることを経験するようになりました。

しかしここで、デルーカは『店舗を増やせば認知度が上がって、ブランドを構築することができる!』という理屈を信じたのです。

そして開店から1年後には2号店をオープンし、さらに1968年までに5店舗へと増やしていきました。

10年後には32店舗を達成させるという強い決意の表れでした。

しかし、その目標まであと2年に迫ろうとした時とても経営状況や店舗数から実現は困難で、しかも利益は上がっておりませんでした。

そして1972年には銀行からの融資を打ち切られ、事業計画書と会計士がまとめた財務報告書を提出しなければ援助はしないと通告を受けたのです。

そこでデルーカはコスト管理をするべきだと考え、社内のあらゆるものに目を光らせて無駄を徹底的に排除しました。

そして社名をサブウェイと変更して、そこからある友人に1万4000ドルの現金を渡してまでフランチャイジーになるように説得したのです。

目標までにはここから残り2年で16店舗を開店させる必要があります。

デルーカは無駄を徹底したことでたいした店舗スペースや、器材が無くても店をオープンできることを伝えたのです。

そして初めてのフランチャイジーとなったブライアン・ディクソンを始め、そこからサブウェイの売り上げはどんどん伸びていったのです。

そして事業を始めてから目標の期限の10年が経つ頃には、32店舗という目標を達成していました。

そしてその成長過程で、サブウェイはお客様と向き合って、細かな注文に応えながら目の前でサンドウィッチを作るシステムを導入してその美味しさが話題となっていきました。

成長はうなぎのぼりで、1984年にはバーレーンに海外の第1号店をオープンさせ、1990年には世界中で5000店舗を達成します。

デルーカは再び、全店舗に『2001年までに1万店舗にする』という文言をナプキンに書き、その1995年に目標の1万店舗を達成していったのです。

 

さらにはサブウェイのサンドウィッチを食べたことで110キロの減量に成功した人物も現れ、その健康食の売り文句から売り上げは33%も増加し、2001年には10億個のサンドウィッチを販売するまでになっていました。

 

そして、2015年9月14日のこと。

総資産4000億円以上を築き上げ、非営利組織などを立ち上げたデルーカはガンによってこの世を去ってしまいます。享年67歳という年齢でした。

 

 

かつてデルーカは、あまり裕福な過程に育たずに、大学に行くための資金に困っていたどこにでもいるただの学生でした。

しかし、ピーター・バックと出会って、自分で掲げた目標を何としてでも達成するという決意によってサブウェイを世界一のファストフード店に育て自身も巨万の富を築き上げたのです。

デルーカは目標を宣言することで、自分では信じられないような力が生み出せるということをその生き様を通して伝えてくれました。

 

『目標を決めて、周りに宣言をするなら今から行動を始めてみてください。』

長期的な目標を掲げるといっても、そこまでの道がまっすぐということはない。それまでにたくさんの問題や障害に出会うはずだ。

-Fred DeLuca

 

参考記事

https://en.wikipedia.org/wiki/Fred_DeLuca

http://shino05.com/sengen/

http://www.gaisyoku.biz/pages/story/subway/subway_01.cfm

 

 

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