夢へのキャリア

半島の貧乏な少年!LEGO創業者オーレ・キアク・クリスチャンセン

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子供の頃にどんな遊びをしたかで、将来大きくなって開花する才能も多少は変わってくるかもしれません。

例えば、テレビや画面ばかり見てきた子供は大人になっても画面を見続けるでしょうし、機械をいじっていた子供は大人になっても新しい機器が発売されると胸が踊るでしょう。

このように3つ児の魂100までではありませんが、子供の頃の遊びというのはその後色々と影響が出てきます。

 

そんな中で、自らの能力を発揮させ、子供の想像力を組み立てるのを助けてくれるおもちゃがありましたね。

そう、レゴです。

 

今回はこのレゴがどうやって生み出されていったのかを見ていきたいと思います。

 

LEGOでよく遊べ!創業者オーレ・キアク・クリスチャンセン

 

1891年4月7日、デンマーク西部のユトランド半島という島にとある貧しい家庭がありました。その貧しい家庭その貧しい家庭の10番目の子供として、オーレ・キアク・クリスチャンセンは生を受けたのです。

 

クリスチャンセンは家族を支える優しい心を持つ少年で、6歳の頃には牧草地で羊の世話をしたり、家の手伝いをしていました。

家は貧しくておもちゃを買う余裕がなかったので、代わりに木片を切ってそれを人形に見立てて遊んでいたのです。

そんなクリスチャンセンは14歳になると、兄の一人から大工仕事を教わります。そして大工として働きながら成長して、20歳になる頃には海外に出て働くようになったのです。

外国で働いて得たお金は故郷デンマークに戻って、木工所を作るために使われることになりました。

この頃に、クリスチャンセンはキルスティンという女性と結婚して4人の子宝に恵まれるようにもなりました。

 

そんなある日のことです。

クリスチャンセンが33歳の頃、幼い息子たちが木工所で遊んでいて、その結果、木に火がついてしまって木工所が全焼してしまったのです。

クリスチャンセンはショックを受けましたが、一生懸命働いて以前よりも大きな建物を建てることにしたのです。

しかし、建物にかけるお金は切り詰めなければならなく、家族は木工所の隣のアパート暮らして部屋も貸し出すような生活をしていました。

さらには、その数年後に大恐慌が訪れて、家や家具を作るといった大工仕事は一気に激減してしまったのです。さらに、不幸は立て続けに起こり妻は4人の子供を残してこの世を去ってしまいます。

自身も大工仕事を生かして、生活雑貨を作るも自分の子供の頃と同じように、自らの子供にもおもちゃは買ってやれずに木で作ったおもちゃで遊ばせるような始末です。

普段はテーブルなどの生活雑貨を作っていたのですが、ふとクリスチャンセンはこのおもちゃを試しに売ってみることにしました。

すると、木のおもちゃは意外にも売れていったのです。やがてクリスチャンセンは12歳になる息子のゴトフレッドに手伝ってもらいながら、生活雑貨とおもちゃの会社を設立します。

クリスチャンセンは木のおもちゃでも家具で使用するような質のいいものを使っていて、『最高のものこそ価値がある』ということを信じていました。

そして1934年、よく遊べという意味の『leg godt』という単語を略して会社名をLEGOという名前にしたのです。

ところがそんなある日、再び悲劇が起きます。

1942年のことでした。

電気回線がショートして工場火災が起きて、工場と倉庫が焼け落ちてしまったのです。

しかし、この悲劇に対してもクリスチャンセンはめげることなくより大きくて、製造する組み立てラインを持つ工場として再建したのです。

そして第二次世界大戦後の1947年、クリスチャンセンの元に一人のセールスマンがやってきたのです。

彼はクリスチャンセンに、新しい素材のプラスチックを作り出すイギリス製の機械を売り込みに来ました。

その機械はクリスチャンセンの会社の利益の2倍はする高価な代物でとても手が出せるようなものではなかったのです。

ところがセールスマンはそのなかで幾つかサンプルを見せてくれましたが、そのなかにプラスチック製のブロックがあったのです。

クリスチャンセンはこの新しいプラスチックという素材に興味を持って、その機械の購入を決めることにしたのです。

これに対して、息子や周りの人間は大反対をしました。

しかし、機械を購入したクリスチャンセンはそのブロックを改良するために試行錯誤と実験を繰り返していきました。そして、『自動結合式ブロック』として、プラスチックの柔軟性を活かしてブロック同士がパチンと結合するレゴブロックが初めて販売されたのです。

 

クリスチャンセンが58歳になる頃には木製とプラスチック製合わせて200種類にもなるおもちゃを販売して木製しか作れない同業者を恐れさせていたのです。そんななか、あるバイヤーから『おもちゃ業界にはシステムという考え方がない』と言われて、そこからレゴブロックをシリーズ化することを思いつきます。

こうすることで、ブロックを別々に買っても一つのおもちゃとして遊べ、いくつも買ってもらえるようにしたのです。

このアイデアがヒットしたレゴは一気に規模が拡大して、7人で運営していた会社はそのころには400人もの人が働く会社へと成長していったのです。

そして、1957年には息子のゴトフレッドが会社を継いで、『ポッチとチューブ』で特許を取得した翌年にクリスチャンセンは66歳でこの世を去っていったのです。

クリスチャンセンの『自由に形作られるブロック遊びが子供達を没頭させて、想像力を刺激させる』という考えを受け継いだ息子たちはその意思を受け継いで、世界で5本の指に入るおもちゃ会社にまで成長させました。

その売り上げは世界で50億ドルにも及び、世界中の子供達の想像力を刺激し続けています。

 

かつては島で貧しく育ったクリスチャンセンは、兄から大工を教わり火災や妻の死など多くの不幸に見舞われ、絶望的な状態でした。

しかし、彼は諦めずに自らができることを行っていったことで、世界有数のおもちゃ会社となり自らも巨万の富を築き上げていったのです。

自らに降りかかる災難を不幸と捉えて言い訳をする人は多いですが、それを糧に前へと進める人は意外にも少ないものです。

 

「もしあなたの前に壁が現れたら、それはあなたが成長する前の試練だと考えてみてはどうでしょうか」

最高のものこそ価値がある。
Only the best is good enough.

-Ole Kirk Christiansen

参考記事

 

参考資料

 

写真引用元

http://www.famousinventors.org/ole-kirk-christiansen

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