夢へのキャリア

ピカソや皇子が愛人?恋多き成功者ココ・シャネル

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Chanel

 

セクシー女優で有名なマリリンモンローが雑誌の記者から『何を着て寝るのですか?』と尋ねられて、『シャネルのNo.5を数滴だけよ』と答えました。

当時のスケベな男どもは『え?ってことは裸?』みたいな妄想を膨らませて、この一言だけでシャネルの香水の売り上げは上がったと言います。

この記事を書いている筆者は香水も使わなければ、シャネルのブランド品を身にまとうこともありませんが、世界大戦中にもかかわらずファッション業界をこれほどまでに変えてしまったココ・シャネルという人物に興味が湧いてきました。

果たしてパリのファッションを確立していった彼女のサクセスストーリーとは一体どのようなものだったのでしょうか。

ファッションの革命家ココ・シャネル

CHANELのブランドといえば古い価値観に囚われずに、自立したかっこいい女性を思い浮かべるかもしれません。

その創立者でもあるココ・シャネルはまさに既成概念にとらわれることなく次々とファッション業界に変革を起こしてきました。

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今回は信念と恋多きココ・シャネルのサクセスストーリーについて見ていきたいと思います。

愛と信念に生きたココ・シャネル

1883年8月19日、フランス南西部オーヴェルニュ地方の救済病院にてシャネルは生まれました。

行商人の父は遊び癖が強くて、放浪したり他の女を作っては遊んでいたので、母親はとても苦労をしていました。

しかし、そんな母親もシャネルが12歳の誕生日を迎える前に病気でこの世を去ってしまいます。

父親はシャネルや他の子供達を見捨てて、孤児院へと連れて行きその後二度と会うことはありませんでした。

そんなシャネルは12歳から孤児院や修道院でお世話になり、そこの修道士から裁縫のやり方などを教わって、お針子として6年もの間裁縫を続けていました。

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親の愛を受けずに18歳にまで育ったたシャネルは、姉と二人でその苦しみから抜けるためにキャバレーで働くことにしました。

キャバレーで姉と一緒に『ココ』という名前で歌手活動をして、いつかきっと芸能界で成功することを夢見てました。

ところが、シャネルは何度も何度もオーディションを受けに行くのですが結果はどれも不合格。

ついにシャネルの心は折れて挫折してしまったのです。

そんな中、キャバレーでいつものように活動していると、一人の男性がお客として来店しました。

彼は名前をバルザンといい、上流階級の将校をやっていたのです。

間もなくシャネルとバルザンは愛人関係になり、シャネルにとって閉ざされた世界から抜け出す道が開けたのです。

その後、シャネルはパリ郊外のバルザンの屋敷に住み着くことになりますが、シャネルは貧困な孤児院出身なため存在を秘密にしていました。

施設育ちの人間はお金持ちと結婚することは不可能だったからです。

しかし、シャネルのことが好きなバルザンとは反対に、シャネルは成功を得るためにバルザンの家を離れることを考えていました。シャネルにとっては、かつて父を愛した母親が不幸に死んでいったことから、愛することは苦しむことになると思っていたのです。

ある時、シャネルはふと疑問を抱きます。

『上流階級のファッションて飾りが多すぎるし、化粧も濃いし、窮屈そうね。』

シャネルはバルザンの屋敷の退屈な時間を持て余していたので、得意な裁縫を生かして帽子をデザインしては、屋敷に遊びに来る友人たちへ見せていました。

当時の帽子は飾りが多く大きなものでしたが、シャネルの帽子は額まで見せるほどの斬新でシンプルだったことで友人たちには好評でした。

 

これを機にシャネルはバルザンの援助を得ながら、26歳にしてマルゼブ大通りにて帽子のアトリエを開業しました。するとやはり人気だったので、翌年にはパリのカンボン通りで『シャネル・モード』という名で帽子専門店を開店したのです。

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しかし、この時にバルサンとは別れて屋敷に通っていた青年実業家のアーサー・カペルと交際を始めるのです。シャネル・モードの開業資金はカペルの援助によるものでした。

 

彼女の人生は恋多く、最低でも10人もの人物と噂になっています。しかもそのどれもが、ピカソや将校、もしくは皇子といった位の高い人ばかりです。

 

恋を原動力にしていたのかはわかりませんが、こうして一軒から始めたシャネルの小さな帽子屋は、続々とシャネルブランド服を取り揃えるような立派なブティックにまで成長していったのです。

 

 

1913年にはドーヴィルに2号店を開店し、翌年に第1次世界大戦が起きますがさらにビリアッツに『メゾン・ド・クチュール』を開店します。

当時のシャネルはすっきりと痩せている体型だったので、男性と見間違えられるかのようなすっきりしていてセクシーな中性的なデザインをしていて当時はそれはかなり斬新だったのです。

『服は体の動きに従う。その逆じゃない』ということで、ファッションの常識を変えていきました。

さらに色に関しても、当時は喪服にしか使われない黒を取り入れて、自身が修道院で育った頃の経験から服の色調に今でも象徴的な黒と白の色を用いたのです。

当時、上流階級の女性は皆コルセットを付けてウエストを細く見せることが主流でした。そのためあまりにもきつくて、気絶する女性も多いため気付け薬が必要なほどでした。

しかしここでシャネルはまた疑問に思い、こう決めます。

『私は、女性が生き生きとしていられて、気持ちよく息ができて、着心地が良くて、見た目よりも若く見せてくれるような女性ファッションを創るの。』

そしてその言葉を実行して作り出したコレクションは新店舗を開店した翌年、女性の自立も叫ばれていたことから爆発的な大ヒットを収めたのです。

しかし、まだシャネルの疑問は止まりません。

『どうして香水ってどれも同じ匂いばかりなのかしら?』

 

こうして1921年には前年に出会った調香師エルネスト・ボーとともに、彼女のラッキーナンバーの5を名前にした『No.5』そして『No.22』というシャネル初の香水を発表します。

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1924年にはさらに、当時の恋人からもらった宝石から模造宝石の装飾や、シャネル・スーツを発表して次々とファッションデザイナーとしての地位を確立していったのです。

こうして1939年までに多くの常識を変えてきたシャネルは56歳にして4000人もの従業員を抱える大企業にまで成長していました。

しかし、あまりに売れすぎて繁忙期には過酷な労働になってしまったため、労働者がストライキを起こしてしまいシャネルと対立したのです。自分のポリシーを譲らない彼女は、一部の店舗以外すべてを閉店して引退にまで追い込まれます。

 

さらに第2次世界大戦ではドイツの国家保安本部SD局長との付き合いがあり、自身の生活環境はよく、さらに反ユダヤ主義やスパイ容疑という汚名によって母国を含むヨーロッパから非難が殺到します。

そして1944年に、シャネルは逮捕され売国奴として国から非難の嵐を受けるのです。

しかし、どうにかイギリスのウィンストン・チャーチルの計らいによって釈放されたシャネルは、永年中立国であるスイスへと亡命し、引退から15年もの間ファッション業界から姿を消したのです。

 

そして1954年、国の嫌悪感が薄まったころにパリに戻ったシャネルは、ホテル・リッツに住んでファッション業界へ復帰します。ヨーロッパではまだバッシングを受けていましたが、女性の社会進出が顕著になるアメリカでは熱狂的にシャネルは受け入れられたのです。

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晩年を過ごしたホテル・リッツ

そしてファッション業界に戻ったシャネルは翌年にアメリカの『過去50年で最も大きな影響力を与えたファッションデザイナー』としてモード・オスカー賞を受賞するまでになったのです。

 

ここまでに至ったシャネルも、はじめは親から見放されて孤児院で育ち、キャバレーで芸能界を志しては諦めてしまうようなちっぽけな少女でした。

しかし、夢を抱いて自分の思う好きなことを追求し続けた結果、今日では世界中のセレブやファッション志向の人々に愛される革命的な一大ブランドを創り上げるまでになりました。

たとえあなたの思うことと、周りの常識が違っていたとしても、勇気を持って自分の思いを表現すれば世の中に認めてくれる人が現れるのだと彼女は教えてくれました。

「いつの時代も世界を変えるのは、人とは違った考えを勇気を持って表現する人なのだから。」

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私は好きなことしかしない。

私は自分の人生を自分が好きなことだけで切り開いてきたの。

– Coco Chanel

 

所感

日本がアニメが盛んなように、フランスはファッションが盛んでもあります。

盛んな場所から世界へ広まっていくのが世の常ですが、そのファッションの先駆けとなったのが今日ご紹介したココ・シャネルです。

ココ・シャネルは写真を見ての通り、痩せているので『モデル=痩せている』方が美しいという固定概念が広まったのだという話もあるようです。

なにせ当時はちょっとぽっちゃりしてた人が人気があったようですからね。

そう考えると、ココ・シャネルが与えた影響ってはじめはフランスだけでしたけれども、遠い海を越えた私たち日本人の考えすらも変えたことになるので、とてつもない影響力ですよね。

 

ココ・シャネルは自分の好きなことしかやらなかったと言っています。

こういうと、また『ゆとり世代の考えだー』的なことを言われそうですけれども、考えが変わっていくということは新しい世界に変わっていってる証拠でもあります。

そんな時代の先駆けとなって、もっと多くの人たちにいっぱい夢を与えて、一人一人が自分の考えることを自由に思い描けられるような環境を作り出すチームを私たちは目指していこうと思います。

 

それでは最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。

 

よかったら、同じファッション業界で世界一の売り上げを誇るZARAの創業者のエピソードもご覧ください。

 

http://jandream.com/2016/05/03/successstory-amancio/

http://jandream.com/2016/05/03/successstory-amancio/

 

《参考記事》

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%8D%E3%83%AB

http://www.allfashionbrand.com/chanel/success/

http://money-academy.jp/coco-chanel/

《写真引用元》

https://en.wikipedia.org/wiki/Coco_Chanel

https://girlsdofilm.wordpress.com/2011/08/

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