夢へのキャリア

ゲイツの5倍弱!史上2番目の富豪アンドリュー・カーネギー

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億万長者ランキングなるものを目にしたことがある人もいるかとは思いますが、その中でも頻繁に1位に君臨するのがMicrosoftを創業したビル・ゲイツですね。

しかし、歴史上を見てみると、ビル・ゲイツよりもはるかに多くの資産を持っていた人物は多数存在しています。

今回ご紹介するのはそのうちの一人で、王様や皇帝を除くと個人で人類史上2番目に資産を持った富豪と言われている、アンドリュー・カーネギーです。

(ちなみに1番は、ジョン・D・ロックフェラーと言われています。)

貧乏な家庭から生まれたカーネギーは、どうして史上2番目となる富豪にまで上り詰めることができたのでしょうか。

今回は未だに多くの実業家たちの行動の指針ともなっている、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーについて見ていきます。

何かを成し遂げたい人、富豪に興味がある人は必見です!

 

鉄鋼王アンドリュー・カーネギー

 

『富の福音』や数々の自己啓発書にも名前が出てくる、史上2番目の富豪と呼ばれるアンドリュー・カーネギー。

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ビジネスや企業活動、昇進を狙う人々の誰もが一度は聞いたことがある名前なのではないでしょうか。

今回は、貧しい家庭で育ちながらも人を大切にすることによって富豪の道を歩んだアンドリュー・カーネギーについてお話ししていきます。

周りに優秀者を集めたカーネギー

 

1835年11月25日、イギリスのスコットランドにて後の鉄鋼王カーネギーは生を受けました。

父は手織り職人で、家の一階は隣人と共有しており寝室としても使われるほど狭く貧しい家庭でした。

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カーネギーの生家

小さい頃からよく叔父からスコットランドの偉人の話を聞かされたおかげか、子供の頃にこんなエピソードがあります。

母親と市場へ出かけたカーネギーは、果物屋の主人から『さくらんぼを一掴みだけサービス』と言われます。

しかしカーネギーはさくらんぼに手を出さないので、仕方がなく果物屋の主人がさくらんぼを掴んでカーネギーの帽子に入れてあげました。

後で、母親がカーネギーにワケ聞くと『僕が掴むより、おじさんの手の方が大きいからたくさんもらえると思った。』と答えています。

 

1848年、カーネギー13歳の時に一家を支える手織り職がイギリスの機械革命により仕事が減り、失職にまで追い込まれてしまいます。

そこで一家は借金をしてアメリカののアラゲイニーという貧困街へと移り住むことにしました。

一家を支えるためにもカーネギーは週給1ドル20セント(約3000円)で、1日12時間を週に6日で絹織物工場で働きます。父も工場働き、母も靴の包装をしていて一家は貧困状態にあったのです。

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16歳のカーネギーと弟のトーマス

カーネギーはその後、4度ほど転職を繰り返して自分に合う仕事を探しており、やがて叔父の勧めでピッツバーグ電信局で週給2.5ドルで電報配達の仕事に就くことになります。

この仕事では劇場にタダで入ってシェークスピアの劇を見られたり、結構楽しく働くことができました。働き者のカーネギーはここでピッツバーグの位置と、重要人物の顔と名前をすべて記憶して人との関係を大切にしていきました。

さらにカーネギーはモールス信号を独学で勉強して、耳で聞き分ける特技を身につけたので間も無く電信技士へと昇格しました。週にきっちりと働いたカーネギーは、休みとなっても図書館へと向かってそこで読書や勉強をしたと言います。

そしてカーネギーが18歳になると、ペンシルベニア鉄道のトマス・スコットと言う人物がカーネギーを秘書兼電信士として週給4ドルを条件にヘッドハントしたのです。

これも日頃から人を大切にするカーネギーの忍耐のおかげです。

 

間もないうちにカーネギーを引き抜いたスコットは、ペンシルベニア鉄道の副社長へと昇進したのです。そこでスコットはカーネギーを今までの自分のポジションでもあったピッツバーグの責任者として引き継ぎます。

ここでカーネギーはスコットから経営や原価管理など、仕事に関することの多くを学んで吸収していきました。実はスコットや社長のJ・エドガーは取引関係の会社の内部情報を知ることができる立場だったので、それを利用して株式を売買したりしてました。

そして1855年のある日のことです。

スコットはカーネギーに『資金を500ドルほど調達できるか?』と尋ねてきました。

実はアダムス・エクスプレスという会社の株主が死んでしまい、500ドル分の株を買ってくれる人を探していたのです。

当時のカーネギーの月給は35ドルほどで当然そんな金額を払えるわけはありませんでした。

しかし、カーネギーは『500ドルならなんとかなります。ただ時間をください。』と言うと、両親にそのことを相談しました。

すると、『この家を抵当に入れて叔父から500ドルを借りましょう!』ということで、ローンを払い終わったばかりの家を担保に500ドルを捻出したのです。

こうして株券を手に入れたカーネギーは5ドルの小切手がやがて会社から送られてくると、友人から、『素晴らしいぞ!これで君は資本家だ!』と言ってくれました。

 

そして6年後、鉄道会社で責任者となって働いていたカーネギーですが、ある日発明家のウードルフ氏が自分の考案した寝台車の模型を持ってきたのです。

ここでカーネギーは『これからは長距離列車の時代が来る!』と予感して、初めて銀行に融資を頼みに行くとペンシルベニア鉄道に試験的に採用して出資します。

これが見事に的中したカーネギーはその後も、入ってきたお金を鉄道関連の会社である鉄鋼業やレール製造などに再投資をしていきどんどん資金を蓄えて行ったのです。

スコットとも良好な関係を結んでいて、南北戦争が起こった時も軍隊輸送の責任者に任命されたスコットはカーネギーを電信網の監督に任命します。

弾薬や電信を効率よく輸送する鉄道の活用は、やがて北軍が勝利する一因にもなります。

 

戦争が終結し、カーネギーは有力者たちと健全なビジネス関係を持っていたので、その後1865年にペンシルベニア鉄道を退職すると30歳にして初めてキーストン鉄橋会社を創業します。

 

ここでカーネギーは鉄よりも耐久性のある鉄鋼に力を入れて、その人脈を活用して自社で製造した鉄橋で施設を請け負うと、地域一帯に鉄橋を製造する工場を工場を造ってビジネスを大きく拡大させたのです。

やがて効率よく鋼鉄を製造する技法を学び、カーネギー製鉄会社の設立や、J.P.モルガンの出資を受けてUSスチール株式会社などを設立していきます。

J.P.モルガンは現在でも巨大な銀行であり、その出資を受けたカーネギーは瞬く間に世界で一番大きな株式会社へと成長したのです。こうして世界一の富豪となったカーネギーでしたが、富豪になることはカーネギーにとっては第一歩に過ぎませんでした。

カーネギーは、『金持ちのままで死ぬのは不名誉』と考えていたために、自らが作り上げた38兆円もの資産を使って世界中に1600もの図書館を設立したり、カーネギー・メロン大学への寄与、カーネギーホール建設やカーネギー財団の設立などで残りの人生に尽力しました。

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そして1919年、カーネギーは84歳でこの世を去ったカーネギーの墓碑にはこのような言葉が書かれています。

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『自分より賢き者を近づける術知りたる者、ここに眠る』

Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.

 

史上2番目の富豪となったカーネギーは死んでも、その生き様は今現在に生きる数多くの富豪たちの心の中に残り、この世界を動かし続けています。

はじめは貧しい家で育ったカーネギーは、一つ一つ目の前にある仕事を一生懸命にこなしてそこで関わる人を大切にすることで大きなアメリカンドリームをつかむことができました。

どんなに大きなことを成し遂げるにしても、目の前の小さなことが重要なのだと彼は教えてくれたのかもしれません。

「あなたが描く大きな夢を達成するために、今あなたは小さなことを大切にできていますか?」

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成功にトリックはない。わたしは与えられた仕事に全力をつくしただけだ。

成功の秘訣は、いかなる職業であっても、その第一人者たることを期することである。

-Andrew Carnegie

 

 所感

 

38兆円という金額は私たち一般人の考える枠をはるかに超える数字ですが、カーネギーもまたはじめは一般人よりも下の生活水準だったことに気づきました。

そんな彼が成功した要因はやはり人を信じて大切にしてきたことでしょう。

上司のスコットを信じて株を買ったことで彼の資本家人生が始まり、やがてその繋がりは何度もカーネギーを助けてくれるものとなりました。

 

私たちもまた、生きている上でどうしてもお金が必要なので、もっと欲しいと望んでしまう心はあるかと思いますが、本当に大切なものは目に見えない人との関係なのかもしれません。

お金は取り戻せても信頼を取り戻すのは難しいですからね。

私も彼の人生を知って、人に対して正直で良い行いを持った商売を続けていきたいと改めて決意しました。

 

それでは最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

 

【参考記事】

http://money-academy.jp/andrew-carnegie/

http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%AE%E3%83%BC_%E7%94%9F%E6%B6%AF

http://systemincome.com/5462

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/ando.htm

【写真引用元】

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b5/Andrew_Carnegie%2C_three-quarter_length_portrait%2C_seated%2C_facing_slightly_left%2C_1913.jpg/440px-Andrew_Carnegie%2C_three-quarter_length_portrait%2C_seated%2C_facing_slightly_left%2C_1913.jpg

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