夢へのキャリア

エジソンがカスに思える・・・天才科学者ニコラ・テスラ!

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Tesla_Sarony

高校時代、ある人物のことを知って衝撃を受けたと同時に今までの価値観とかがひっくり返ったことがありました。

その人物とはニコラ・テスラです。

以前も紹介したエジソンが電球を発明したと言いましたが、テスラはエジソンとは比べものにならないくらいの頭脳の持ち主で、『地球を真っ二つにできる』と発言までしていたと言います。

彼は実に数奇な運命を辿った人物で、その生き方から何か学べるかもしれませんね。

世界システムを考案したニコラ・テスラ

 

世界の発明家といえば誰もが頭に思い浮かべるのがエジソンかもしれませんが、ニコラ・テスラはエジソンに電流ではその上を行く人物でした。

エジソンが『天才とは1%のひらめきと99%の努力』といったのに対し、テスラは『天才とは99%の努力を無にする1%のひらめき』と答えています。

今回は、グーグルの創業者など、多くのイノベーターが尊敬してやまないニコラテスラの人生について見ていきましょう。

エジソンと対立したニコラ・テスラ

1856年7月10日の嵐の深夜、現クロアチア西部のオーストリアにニコラテスラは生を受けました。

司祭の父と姉が二人に妹が一人、そして神童とよばれる頭脳を持った兄デンとともに過ごしてきました。テスラは後に兄デンのことを『生物学的に説明不可能なほどの天才的知性』と述べています。

テスラ自身も兄に負けないようにと勉強に励んで、特に数学に関しては3桁の掛け算を暗算でできるまでになりました。

そんなテスラが5歳になった頃、兄は馬に蹴られたことにより12歳という年齢でこの世を去ってしまいます。

このことはテスラにとってすごくショックで、これを機にテスラは幻覚が見えるようになっていたのです。

意識をしていなくとも突然目の前に過去に体験した風景が思い浮かんでは、触れようとしても消えて現実世界と区別がつかないほどリアルな幻覚なのです。

ただ、テスラが17歳になって発明家の道を歩むと決めた時、その幻影が思わぬ形で非常に役に立ったのです。

テスラは思いついたアイデアを幻影として思い描いて、それを頭の中で組み立てて稼働させました。すると、どこのネジの部分が何年後に磨り減ってくるとかがわかるので、そこの部分を空想上で改良したのです。

まさに天才。

テスラは図面も何も必要なく、頭で改良を終えたアイデアを製作していったのです。

そして1880年に大学在学中で交流電磁誘導の原理を発見して大学を中退したテスラは、ハンガリーのブタベストの国営電信局に勤めるものの2年足らずでやめてしまいます。

そしてパリのエジソン社で働いたテスラはここの社長からその才能を見抜かれて、渡米してエジソンに会うことを勧められたのです。

1884年、アメリカにあるエジソンの会社に訪れたテスラは、エジソンに自身の交流電流について話したのです。

しかし、エジソンは直流電流を採用しており、テスラの交流電流の考えを真っ向から全否定しました。

そんな中、エジソンはテスラを採用するといきなり高度な機械の修理の仕事を押し付けました。

どんなに早くても2週間はかかるとみていたエジソンに対して、テスラの想像力は一瞬でその機械の図面を描くと6時間で機械を完成させました。

またある時は、直流用の機械を交流で動かせれば5万ドルの褒賞を渡すと約束したエジソンに、それを実現して見せると交流を認めたくないエジソンは『冗談』で済ませたのです。

テスラはエジソンの態度に激怒すると、エジソンの会社をやめて自分で会社を起こすことにします。

しかし、エジソンが交流電気の恐ろしさをアピールするために交流で動物を処刑したり、電気椅子を発明して実際にアメリカの刑務所に導入させたりしたのです。

これによって一般の人は直流も交流も同じ電気ということで、電気全体に対して恐怖を抱いてエジソンも被害を食らいました。

ただ、テスラが会社を去ってから世間からは姿が見えなくなっていました。

そして運命の日がやってきます。

1893年、シカゴ産業博覧会で全世界中のマスコミが集まる一台科学イベントにて、数年間姿を潜めていたテスラが舞台へと上がります。

実はアメリカ電子工学学会で行われたデモンストレーションでテスラは100万ドルの研究費を提供してもらうことに成功しており、この日のために着々と準備を進めていたのです。

交流の優位性を示すために、シカゴ万博の会場の電気は交流を用いて世界で初めて、テスラの光に照らされたまばゆい未来の光景が世界中のマスコミの目の前に広がったのです。

この時、エジソンとの決着は誰の目にも明らかでした。

それ以降、テスラの交流はナイアガラでの発電システムでも採用されて世界へと広まっていったのです。

そして彼が次に取り組んだのは拡大送信機でした。

テスラはここで少年時代のある出来事を思い出します。

それは雪山で少年たちと遊んでいた時、手に持った雪の玉を山の上から落とすと、みるみるうちに雪玉が大きくなり、やがて家屋よりも大きくなった雪玉が木々や岩をなぎ倒していった出来事です。

この自然の壮大なエネルギーを利用すれば巨大なエネルギーを生み出し続けられると考えたテスラは、地球全体を導体としてエネルギーを発生させて送信する方法を思いつきます。

彼はこの世界通信システムで世界中どころか、他の星とも通信ができるということ言ったために資金が集まらなかったのです。

当時の人々にとってはテスラの考えはあまりにも時代の先を行き過ぎていて、誰にも理解をされることがありませんでした。

世捨て人となったテスラはその後、ホテルの一室で生涯孤独に過ごすこととなり86歳で部屋で自然死するのを発見されています。

その後、テスラの部屋にはFBIが駆けつけると、金庫に入れられていたテスラの資料を持ち去ったと言われています。

しかし、ライバルのエジソンの電球やラジオが消えていく中で、テスラの交流は私たちの日常に不可欠であり、噂ではテスラの世界通信のシステムも使用されているのだとか。

 

はじめは自分の見る幻覚に悩まされていたテスラですが、その幻覚がのちにテスラの発明を大いに助けてくれるものとなりました。

そして彼の生き様から、いくら発明ができたとしても伝える力がなければエジソンのように名を広めることもできないのだということがわかります。

「あなたが短所だと思っている部分が思わぬところで活躍する時が来るのかもしれません。」

直観は、知識を超越する。われわれの脳の中にある、素晴らしい組織に比べれば、論理や計画的な努力は、取るに足らないものになってしまう。

-Nikola Tesla

 

【参考記事】

http://www.amorc.or.jp/misc/tesra.html

http://www.earth-words.net/human/nikola-tesla.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%A9

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7073/tesura1.htm

 

【写真引用元】

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%A9

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