Murakami

アメニモマケズのモデルの斎藤宗次郎

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おっす!!あくしょん村上です。

 

宮沢賢治さんの作品の中に『アメニモマケズ』っていうのがあります。

皆さんも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?

 

私も、親戚の墓石に刻まれていることもあり

詩の中でもこの文はとても印象的です。

 

知らない方のために原文を引用すると、

 

(原文)
「雨ニモマケズ」
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

(意味)

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい

 

 

っていうのですね。

 

この作品は宮沢賢治さんが亡くなった後に発見された

遺作なのですが一体、宮沢賢治さんはどのような思いで

この詩作を残したのでしょうか?

 

じつはこの詩のモデルになった人がいるそうですよ。

その名も斎藤宗次郎という方だそうでなんとあの

内村鑑三の愛弟子の当時は珍しいクリスチャンだったそうです。

 

キリスト教だったために多くから迫害をされながら

娘は死んでしまい「でくのぼー」になりながらも

『アメニモマケズ』のようにくじけることなく生き抜いたそうです。

 

 

子供達にお菓子をあげて励まし、病人がいると聞けばお見舞いをして

雨の日も風の日も雪の日も休むことなく祈り続けたと言います。

 

そしてそんな生き方を貫き通して、迫害され続けたにもかかわらず

多くの人から好かれるような人間だったようです。

 

まァ、そこまで自己犠牲と謙虚さを持った人物のことを

嫌いになる人はあまりいませんでしょうね。

自分のことだけでなく、他人を思いやることを貫く姿は

まさに武士道と言いますか和の心を体現していますね。

このような日本人がいたことに誇りが持てます。

 

宮沢賢治さんがこのアメニモマケズに込めた思いは

おそらくそんな斎藤宗次郎さんに対する大きな

尊敬の念だったのでしょう。

 

我々も今の時代でも是非とも尊敬する人物を見つけて

『そんなものに私はなりたい』

と言えるような正直な気持ちと人を尊ぶ気持ちを

持っていきたいものですね。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます!

 

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